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2012年6月13日水曜日

累積加重処分取消裁判を支援する会ニュース(第98号)

~「日の丸・君が代」処分(戒告から停職まで)~
平成24年(行コ)第214号 戒告処分取消等請求控訴事件~
高裁第10民事部係属 控訴審を前に
不起立・不斉唱は教育行為か?
非違行為か?それとも不作為か?


不当な支配・教育の自由侵害を照射するために

最高裁第3小法廷の大谷裁判官は第一波判決補足意見の中で「示威的な拒否行動」と述べた。私の不起立・不斉唱はそんなに勇ましいものではない。「示威的」とか「挑戦的」とかではなく、ましてや「挑発的」ではない。大谷裁判官に限らず、教育現場の混乱の原因が教職員の不起立・不斉唱・不伴奏にもあるかのような認識しか持っていないようだ。いや、膨大な陳述にもかかわらず、裁判所に学校の実態を知らしめることに成功していないと言える。
高裁・大橋判決が「正しい教育をしたいという思い」と判じた時、それは単なる裁量権問題ではなく、正当な教育行為の動機を提示したにもかかわらず、教育の自由への主導的展開に結びつけることができなかった。さらにさかのぼれば、あの地裁・難波判決が「起立・斉唱の義務無し」と判じた時、では自分たち教職員にはどんな「義務」があるのかとは考えずに何の「義務」もないかのごとく受けとめてしまったのではないか。強制の重圧があまりにも大きくて。
戦後の多くの日本人が極東国際軍事裁判の成り行きを「観測」し、また“戦争を主導したのは一部の軍国主義者で、日本国民も戦争の被害者”と言われた時、自分たちには“戦争責任がない”と勘違いしたことを想起する。そこでは戦後責任への地道な取組など望むべくもない。この愚を繰り返してはならない。

多様な不起立・不斉唱・不伴奏・抵抗を語ろう

既に報じたように、私の不起立・不斉唱は「原則的」「抑制的」「初歩的」な教育行為であった。生徒に「同調」を求めたわけではなく、スローガンを叫んだり表示を掲げたりしたわけではない。だが、自分の思想・信条に反して起立・斉唱しないと同時に、生徒に多様な考えがあること、それを行動に表してよいことを示す職務があった。それが「直接の人格的接触」を通して行う校務であった。これに対して「教育行為といってはいけない」とする意見もある。「教育行為」でなければ職務専念義務が科せられている卒業式の会場で何をするというのだろうか。
もちろんそれぞれの方にそれぞれの“不起立・不斉唱・不伴奏・多様な抵抗”論があるだろう。「ストライキ論」「不作為論」「退場論」など、ぜひききたいと思う。国旗国歌法、学習指導要領の国旗国歌条項、上司命令、全体の奉仕者論等々をねじ曲げて「規律違反」「非違行為」と決めつける展開が横行している時、私たちは大いに語るべきだろう。

あれこれの「過去の処分歴等」の悪用を許すな

都側は処分を是認させるために裁判の準備書面で、枝葉末節、中にはこともあろうに正常な民主的行為までもあげつらって「秩序を乱した」「進行を妨げた」などとしている。私の場合、都側も控訴したようなのでおそらく「過去の処分歴等」を提示してくるだろう。また、不起立・不斉唱の「意図」を問題にするかもしれない。教育の自由を保持する行為を転倒して描くのを許すわけにはいかない。
1/16最高裁分離分断判決において、停職3月を是認したケースで取りあげられた「過去の処分歴等」は前世紀の積極的な教育の自由保持行為である。このような不条理を糾すためにも、各訴訟において「受け身の言い訳」ではなく強制下の自由追求を語らなければならない。先駆のカナリアを悲劇のヒロインにしてはならない。
高裁への要請署名を開始しました。第1次集約の締め切りは7月末です。今回は高裁への要請です。前回ご協力いただいた方も再度お願いします。

今後の予定 報道

*河原井損害賠償差し戻し審 高裁口頭弁論 6/20 11時 812号
*都障労組処分取消訴訟 高裁判決 6/27 13:15 第824号
*「授業してたら処分」事件 地裁弁論 7/9 11:00 第527号
*東京小中「君が代」裁判 高裁口頭弁論 7/17 15時 第825号
*東京「君が代」裁判2次訴訟 高裁口頭弁論 7/20 14:00 第101号
*河原井・根津処分取消訴訟 地裁口頭弁論 7/23 16時 第527号
*米山処分取消・不採用取消裁判 高裁口頭弁論 8/7 15:30 第822号
*東京「君が代」裁判3次訴訟地裁口頭弁論 9/28 15:00 第527号

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