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2011年5月29日日曜日

累積加重処分取消裁判を支援する会 ニュース(第36号)

論点、争点、キーポイント(結審に向けて 7)

橋下「国旗・国歌条例(案)」の強権と巧妙

 ついに出された「条例(案)」を読むと、教育基本法の理念を貫徹すること、都教委「10・23通達」の「足らざるところ」を補強することを目指しているようだ。
 前者については分かりやすい。「条例(案)」の第1条(目的)と教育基本法第二条(教育の目標 五)は、字句までほとんど同一。「伝統と文化を尊重」「我が国と郷土を愛する」「国際社会の平和と発展」橋下知事にとってはこれほど明確な理念を公的場面で実現するのは当然ということだろう。その道具が「国旗・国歌」である。「愛国心」も「国際貢献」も多様な意見が存在する問題ではなく、突き進むべき課題とする。その主体は「府民、とりわけ次代を担う子ども」。
 後者については、一挙に大阪府内の公立学校(小・中・高・特別支援学校)全てに直接強制を図っている。「服務規律の厳格化を図る」ことが目的だから「教職員」が直接のターゲットである。すでに出されている反論において「国旗・国歌法」成立時の国会で「強制はしない」「立っても立たなくてもよい」という野中官房長官等の言が持ち出されているが、同時に有馬文部大臣や矢野政府委員は「職務上の責務」「懲戒処分を行うことができる」と述べている。橋下知事は、東京のような単純な累積加重処分や停職6か月の頭打ちではなく免職までもっていこうとしている。
 こう見てくると、強権と巧妙な策略によって教育の自由を圧殺しようとしているといえる。「思想・良心・信教の自由」一般ではなく、矛先はまっすぐに学校と教職員に向かっている。私のような“無党派浮遊層”を含めて学校現場での正確な反撃、そして府民、国民との共同した取り組みが必要である。

2つの最高裁判決 予告

最高裁の二つの小法廷は、口頭弁論を開かず、判決期日を指定してきた。次の2件である。
南葛飾(定時制)元教員嘱託採用拒否事件 5/30 第2小法廷
嘱託不採用撤回裁判 6/6 第1小法廷 

 *憲法、教育基本法の判断に踏み込むかどうか、注目される。

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次回口頭弁論(結審)7/11(月)13:30~ 527号 
最終準備書面の提出・原告本人の最終陳述

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2011年5月25日水曜日

累積加重処分取消裁判を支援する会 ニュース(第35号)

論点、争点、キーポイント(結審に向けて 6)

通達・職務命令と不起立・不斉唱、どちらが合憲、合法か

 そして、反対尋問の最後にこう訊かれた。(4/28口頭弁論)
都教委代理人弁護士:あなたの不起立行為と地方公務員法32条・33条違反はどのような関係なのか。              
近藤:違憲、違法な通達や職務命令に従うつもりはない。
  *地方公務員法32条(法令等と職務命令)、33条(信用失墜行為)
 都教委の主張は<不起立者が特定の思想から勝手に法律を無視して非違行為を行った>というもの。なんとしても教育現場で違法行為が行われたことを裁判官に印象付けようとした。私は、都教委「10・23通達」、八王子市教委「9・22通達」「12・8通達」、校長「職務命令」が教育の自由(憲法23条・26条)に違反していることを学校現場の教育実践に即して述べてきた。そして、都教委側が最後に処分理由としての地方公務員法違反をもち出すなら、やはり裁判官に憲法判断を要請しなければならない。
 言うまでもなく憲法98条(最高法規性)、99条(憲法尊重擁護義務)がある。一教育公務員である私も、それなりの権力をもつ都教委の方々も、その権利と義務において、法の下に平等のはず。

橋下大阪知事の「君が代起立条例」の行方

 東京の「日の丸・君が代」強制反対の闘いは、全国の「強制」したがっている方面を牽制してきた。「強制」を強行したら、学校現場でどれほどの抵抗を引き起こし、どれだけの裁判を抱えなければならないかを示している。首都圏はもちろん北海道や大阪、名古屋での兆候は見られたが、躊躇させてきた。橋下知事はシャニムニ走ろうとしている。私達の堡塁が決壊する危機に当たって、何千、何万の大阪の教職員、何百万の府民と連帯していこう。

嘱託採用拒否事件で、5/30に初の最高裁判決予定

 5/21付『毎日新聞』は「東京君が代訴訟 元教諭敗訴公算」「2審の判断を見直す場合に実施される弁論が開かれておらず、元教諭が敗訴した東京高裁判決(09年10月)が確定する公算が大きくなった。」と報じた。数ある訴訟の中で「10・23通達」関連では初めての最高裁判決となり今後の裁判に多大の影響があろう。
 「戒告処分」取消ならば、再雇用拒否は全く不当である。

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最終準備書面の提出・原告本人の最終陳述

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2011年5月17日火曜日

累積加重処分取消裁判を支援する会 ニュース(第34号)

論点、争点、キーポイント(結審に向けて 5)

教育は、即効性だけか? ~続~

口頭弁論(4/28)で、私は以下のように述べました。
「私は本来社会科の教員だが、行政が『日の丸・君が代』のような措置をすれば、社会科は成り立たない。」
「今回の原発事故にも見られるように、現場のプロが危機を感じたら発信しなければならない。」
 社会科で取り上げる課題は「基礎的知識」もあるが、重要なことは「論争的課題」である。例えば「アジア・太平洋戦争」「大東亜戦争」「沖縄戦」「集団自決」「環境保護と経済発展」「憲法と国際平和」等である。政府見解や法律が成立しているかどうかにかかわらず多様な意見がある。これについて教育の場で一定の価値観を一定の方法で教えることを強制されたらどうでしょうか。自立した批判的思考を養うことはできません。
 「君が代」起立条例をたくらむ大阪府の知事は「国歌を歌うには、起立して歌うべし。これが僕の政治感覚です。そしてこれは教育内容の問題ではありません。起立して歌わない教員は、大阪府民への挑戦と捉えます。」と言っているそうです。知事本人の「僕の政治感覚」は認めますが学校教育の場での強制は許されません。東京都の学校現場で強制が貫徹し、教員の教授の自由と児童・生徒の学習の自由、多様な考え行動の自由が侵害されていることに危機感を感じます。学校現場でも裁判の場でもはっきり警鐘を鳴らさなければなりません。それが将来にわたって意味を持つ可能性があります。私は生徒との直接の人格的接触のために式典会場に存在することを求めましたが、不起立可能者を会場に残すかどうかでは一律起立・斉唱を強制する側にもジレンマがあります。その意味で不起立・不斉唱は教育の自由の圧殺か保持かの瀬戸際における教授の自由権の一筋の発揮といえるでしょう。
 現職の教職員には、一人でもその会場の一律起立・斉唱を止め「正しい教育を行う」力を秘めていると思います。

次回口頭弁論(結審)7/11(月)13:30~     527号
最終準備書面の提出・原告本人の最終陳述

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累積加重処分取消裁判を支援する会 ニュース(第33号)

論点、争点、キーポイント(結審に向けて 4)

教育は、即効性だけか? 
口頭弁論(4/28)の反対尋問で次のようなやり取りがあった。
都教委代理人弁護士:不起立はどのような意味があるのか。
近藤:教育指導によって直ちに正さなくてはならないものはもちろんあるが、そのような即効性だけでなく、10年先に生徒の成長過程で意味をもつものもあると思う。


 都教委「通達」・市教委「通達」・校長「職務命令」は、「日の丸・君が代」一律起立・斉唱によって「国旗、国歌への敬意・儀礼」「国家への忠誠」「国を愛する心」を教えるという。そこから、それを教えない不起立・不斉唱は「児童・生徒の学習権を侵害するものだ」という。また、学習指導要領の「国旗を掲揚し国歌を斉唱するよう指導するものとする」が持ち出される。
 私は、教育の本質的営みには、学習の自由と教授の自由が前提とされなければならないと考える。教授の自由はもとより厳しく制限されているし、「通達」「職務命令」により強烈に圧迫される。残された自由の唯一の発揮は不起立・不斉唱によって強制を拒否しその姿を見せることであった。後は生徒の現在と将来の判断に任すだけ。

 かつて、教育実習生「樺美智子先生」も目前と長期で悩んだ。死の前年1959年秋、公立中学校で教育実習を行っている。
 「先生方の評によれば『大分不良がかっている』二人の女生徒がいた。私は注意していて、運動会の練習をサボっている二人を見つけて親しくなり、ついに、いつもサボっている掃除も一緒にするところまでいったが、二週間で離れることを考えると、それ以上内面的につながりを深めることは躊躇せざるを得なかった。・・私はやはり、生徒と親しくなり過ぎないようにしたのは正しかったと思う。」(『人しれず微笑まん 樺美智子遺稿集』より)
 また、ある生徒からは厳しい指摘も受ける。「社会科の授業は大変わかりやすく説明して下さるのでよかったです。私達のH・Rをやって下さいましたが、皆がさわいでいる時はすこしおこって下さればよかったと思います。」(同上)
 運動会に参加「指導」している時の写真からうかがえる真剣そのものの姿はきっと生徒に通じたことだろう。そして「歴史を教えるのはきっと、おもしろいだろうと思って実習に行ったのだが実際は予想していたよりも、もっとおもしろかったということを、はっきり言える。」(同上)と結論付けている。

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**会員・読者の声**

君が代斉唱・日の丸掲揚強制と私たちの生き方(2)
 山田昭次

 戦後に早くも1950年10月17日に文部大臣天野貞佑は、祝日の君が代斉唱・日の丸掲揚を復活するように全国の教育委員会や大学に通達した。その狙いは何か。彼の発言によると、この狙いの対象は大学生や知識人ではなく小学生であり、「この国のために働くんだ、というようなことをだんだん教え込みたいですね。何も理屈じゃなくて感覚的にそういう気持ちを持たせたいので、それには旗とか歌というものが是非必要」と言った(天野貞佑「君が代・日の丸・修身科―現代日本人の課題」『読売評論』1951年1月号。下線は山田)
 東京都教育委員会は、校長が卒業証書を同じフロアで渡す形式から高い演台に立って渡す形式に変更させ、かつ「入学式、卒業式等における教職員の服装は、厳粛かつ清新な雰囲気の中で行われる式典にふさわしいものとする」と、2003年に命じた。これは入学式、卒業式を権威主義的で厳粛なものにすることによって、君が代・日の丸に象徴される日本国家が神聖不可侵のものという印象を児童や生徒に与える演出効果を狙ったものであろう。「感覚的にそういう気持ちを持たせたい」という天野の発想は継承されている。
 君が代斉唱・日の丸掲揚の強制は、私たちが近・現代日本国家が歩んできた歴史を厳密に検証し、これとどのように対峙して生きていくのかという課題を厳しくつきつけている。

次回口頭弁論(結審)7/11(月)13:30~     527号
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2011年5月10日火曜日

累積加重処分取消裁判を支援する会 ニュース(第32号)

論点、争点、キーポイント(結審に向けて 3)

不起立・不斉唱は「コウム」か? ~続~

 口頭弁論(4/28)の反対尋問で次のようなやり取りがあった。
都教委代理人弁護士:卒業式の時、一番近くの生徒とはどのくらい離れていたか。
近藤:1メートル前後です。
都教委代理人弁護士:生徒からあなたの不起立は見えたか。
近藤:はっきり見えたと思います。
 私の不起立は、生徒に自らの考えに従って行動してよいというメッセージを送るものでした。前号に続きローカルな話になりますが、〈国歌斉唱〉に続いて〈校歌斉唱〉ですから私は起立して歌います。生徒に正対しての起立―不起立―起立という一連の動作は目立ちます。ところで八王子五中の校歌はなかなか素晴らしいものです。
 高き知性の かがやけば 自由の道の はてもなし
 見ずや個性の おのずから 薫りも色も 新たなり
 友よしたしく 手をとりて 世界の前に 進むべし 
         (土岐善麿 作詞  信時潔 作曲 「学事報告」より)

 私は勝手に、リベラリズム、パーソナリティ、インターナショナリズムを励ますものと解釈しています。土岐・信時のコンビでは、『われらの日本』(新憲法施行記念国民歌)が創作。1947.5.3のこと。
 平和のひかり 天に満ち
正義のちから 地にわくや 
われら自由の 民として
新たなる日を 望みつつ
世界の前に 今ぞ起つ   (古関彰一『新憲法の誕生』より)

 記念式典に天皇は出席せず、君が代ではなくこの歌が歌われたそうだ。国歌はもちろん、校歌にしろ国民歌にしろ強制はダメですが、その意味、意義を批判的に検討し深く理解することは重要だと考えています。このことが裁判官に伝わったでしょうか、心配です。

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**会員・読者の声**

君が代斉唱・日の丸掲揚強制と私たちの生き方(1)
 山田昭次

 1923年9月1日に関東大震災が起こると、日本人民衆の多数派は朝鮮人が暴動を起こしたという官憲が流した情報を「お上の言うことに間違いない」と信じリンク、「お国のために」と自警団に参加し、刀、竹槍、こん棒などを使って無辜の朝鮮人たちを虐殺した。劇作家の秋田雨雀は、こうした民衆の行動は国家が教育してきた「国民道徳」の発露であり、それは「親切、無邪気、相互扶助的な精神さえも、それは全く自己の民族にのみ限られたものであって、一歩利害を異にした民族に対しては、あらゆる残虐、無残な行為を生んでくる」ものだと批判して、「国民道徳」からの解放を訴えた(「民族解放の道徳」、『読売新聞』1923年11月26日)。私がこうした秋田の言葉を思い出す所以は、君が代斉唱・日の丸掲揚の強制を伴う現在の入学式や卒業式の儀式は、民衆の国家との感覚的・情緒的一体化を通じて、戦後民主主義運動によって後退しかかった「国民道徳」の再強化を目指していると見るからである。(この論考は『ほっととーく100号』に掲載されたものですが、先生の了解を得て再録します。)

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2011年5月9日月曜日

累積加重処分取消裁判を支援する会 ニュース(第31号)

論点、争点、キーポイント(結審に向けて 2)

不起立・不斉唱は「コウム」か?

 口頭弁論(4/28)で次のようなやり取りがあった。
青野裁判長:あなたの言うコウムとは、公務か校務か。
近藤:校務です。
 私は以前から“不起立・不斉唱・不伴奏を含む多様な取組を呼びかける”ことを提起している。その一つ、2003年「10・23通達」以来、一貫して職員会議で“式次第の〈国歌斉唱〉を削除する”ことを提案してきた。さしたる議論も無く校長がこれを否定し〈国歌斉唱〉は通過した。“またか”とか“今さら”の声は常に聞こえてきた。しかし、あくまで強制を続けてきたのは都教委である。
 卒業式の〈目的〉には「学校生活の締めくくり」「新しい生活への出発点」がある。この〈目的〉達成のためには、一律起立・斉唱ではなく、自主自立の判断で行動することではないでしょうか。例えば、外国人生徒にとって日本語を獲得することは自立への糧を得ること。私の不起立・不斉唱も「自由を示して“なんぼ”の校務」でした。八王子五中の校舎全面改築により、本件事案が発生した旧校舎音楽室もプレハブ音楽室もこの地上から跡形もなく消え去るでしょう。「根本において教育の力にまつべきもの」は何でしょう。

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       **会員・読者の声**
 「以上はあくまでも私個人の考えです。でも、これが教育の場における問題として考えるならば、この考えも一つの意見にすぎませんし意見は多様だと思いますから、私の考えを絶対視するつもりもありません。しかし、戦前の国家強権の教育を受けた者としてせめて個人の考えを尊重する教育であってほしいと思います。日本の憲法は主権在民、思想信条の自由、そして何よりも世界に誇ることのできる戦争放棄をうたっているではありませんか。教育とは憲法の精神と真実を教え良き人間としての成長を助けるものだと信じています。その信念に従って公務員としての業務を果たしている教員が何故問責されるのか、私はどうしても納得できません。国旗・国歌の教育現場での扱いについては『強制をしない』という国の答弁をはっきり覚えています。自分の愛する国が世界からも認められる平和な国家であることを切に願っています。」(池田教)

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累積加重処分取消裁判を支援する会 ニュース(第30号)

論点、争点、キーポイント(結審に向けて 1)

不起立・不斉唱は「教育を受ける権利の侵害」か?

 これまでのやりとりで、何が問われたかを一つ一つ明らかにしていきたい。私への都教委側準備書面でも書かれているが、ここでは<3・25停職妥当判決・加藤裁判長>から引用する。
 「起立してもいいし、しなくてもよい、国歌を斉唱してもいいし、しなくてもよいと受け取ってしまうこととなり、児童、生徒が国旗・国歌について正しい認識を持ち、国旗・国歌を尊重する態度を学ぶことができなくなる結果を招く。このことは児童、生徒が基礎的知識に属する事項を学ぶ上では、マイナスというほかないから、その意味では児童、生徒の学習権又は教育を受ける権利の侵害に当たると評価せざるを得ないものである。」(判決文P31)
 一律起立・斉唱だけが「正しい認識」「尊重する態度」であるという固定観念から転倒した結論を導き、多様な考え行動を非違行為、犯罪行為としている。許しがたい見解である。

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**会員・読者の声(多くの方の意見を紹介します。)**

 「私は日本人だから、国旗も国歌も愛したいと思う。しかしその国旗と国歌が日の丸と君が代である限り、歌うことも頭を垂れることもできない。私にとって君が代は死者の怨嗟の声であり、日の丸は白地に赤の旭日ではなく、泥と涙と赤い血にまみれたぼろぼろの布切れに見える。戦後も13年中国に残留して各地を回り、日本軍の犯した残虐の数々の証言を耳にしたが、私自身が体験したことではないから敢えて口にはしない。しかし、その証言を真実だと思う根拠は持っている。戦中、学徒動員から敗戦まで、関東軍の司令部に籍を置き軍隊の中の新兵苛めを実際に目撃している。その非人間的な行為から日本軍の体質は心の中に沈んでいて私がその証言を真実だと思う根拠になっているし、実際にその行為をした旧軍人の証言がある。戦地に駆り出された人々はおぞましい自分の行為はそう簡単には口にはできないだろうと推測はできるし、これは個人的な行為ではなく、軍隊そのものの行為だからと免罪する気持ちもあると思う。一人の行為は犯罪でも命令で縛られた軍隊の行為としては罪に当たらないと言う集団の心理も働くと思う。でも客観的に見て戦争とはどう考えても惨いものではないだろうか。ましてそれが大義のない他国への侵略であるならばその国の人々にとってはこれほど理不尽なことはないと思う。その象徴が日の丸であり、君が代として認識されるのは極自然なことのように思う。(次号につづく)」(池田教)

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 このニュースを皆様の意見交流の場としたいと思います。各方面の有名、無名の方の感想・意見を紹介します。気楽にお寄せください。
  

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