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2011年5月9日月曜日

累積加重処分取消裁判を支援する会 ニュース(第31号)

論点、争点、キーポイント(結審に向けて 2)

不起立・不斉唱は「コウム」か?

 口頭弁論(4/28)で次のようなやり取りがあった。
青野裁判長:あなたの言うコウムとは、公務か校務か。
近藤:校務です。
 私は以前から“不起立・不斉唱・不伴奏を含む多様な取組を呼びかける”ことを提起している。その一つ、2003年「10・23通達」以来、一貫して職員会議で“式次第の〈国歌斉唱〉を削除する”ことを提案してきた。さしたる議論も無く校長がこれを否定し〈国歌斉唱〉は通過した。“またか”とか“今さら”の声は常に聞こえてきた。しかし、あくまで強制を続けてきたのは都教委である。
 卒業式の〈目的〉には「学校生活の締めくくり」「新しい生活への出発点」がある。この〈目的〉達成のためには、一律起立・斉唱ではなく、自主自立の判断で行動することではないでしょうか。例えば、外国人生徒にとって日本語を獲得することは自立への糧を得ること。私の不起立・不斉唱も「自由を示して“なんぼ”の校務」でした。八王子五中の校舎全面改築により、本件事案が発生した旧校舎音楽室もプレハブ音楽室もこの地上から跡形もなく消え去るでしょう。「根本において教育の力にまつべきもの」は何でしょう。

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       **会員・読者の声**
 「以上はあくまでも私個人の考えです。でも、これが教育の場における問題として考えるならば、この考えも一つの意見にすぎませんし意見は多様だと思いますから、私の考えを絶対視するつもりもありません。しかし、戦前の国家強権の教育を受けた者としてせめて個人の考えを尊重する教育であってほしいと思います。日本の憲法は主権在民、思想信条の自由、そして何よりも世界に誇ることのできる戦争放棄をうたっているではありませんか。教育とは憲法の精神と真実を教え良き人間としての成長を助けるものだと信じています。その信念に従って公務員としての業務を果たしている教員が何故問責されるのか、私はどうしても納得できません。国旗・国歌の教育現場での扱いについては『強制をしない』という国の答弁をはっきり覚えています。自分の愛する国が世界からも認められる平和な国家であることを切に願っています。」(池田教)

次回口頭弁論(結審)7/11(月)13:30~ 527号
最終準備書面の提出・原告本人の最終陳述

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