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2011年4月13日水曜日

累積加重処分取消裁判を支援する会ニュース (第27号)

証人尋問に向けて(七)

象徴天皇制国家のシンボル(日の丸・君が代)を強制する「公立学校の教育現場」とは?

 3・25停職判決(東京高裁・加藤裁判長)が前提としている社会認識は、以下の部分である。
「戦後半世紀以上にわたり、憲法の精神に従った民主的で文化的な国家建設が行われ、個人の精神を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するところの普遍的かつ個性豊かな文化の創造を目指す教育が実践されてきており、現代において、皇国思想や軍国主義的又は極端な国家主義的傾向又はそのような価値観を一方的に押しつける教育は少なくとも公立学校の教育現場には存在しないと解される。」(判決文 P23)
 これが、現教育基本法の前文冒頭「我々日本国民は、たゆまぬ努力によって築いてきた民主的で文化的な国家」と同一の調子であることは前に指摘した。そして、この上記判決文の後半部分は事実を転倒させている。現在の日本国が「民主的で文化的な国家」であるかどうかを最近読んだ二つの文から考えた。以下に示す。
 「佐高 学校の先生は往々にして、憲法があることが当たり前と思っている。でも日本の会社には憲法なんてないんですよ。『憲法番外地』と私は言っていますが、その番外地が日本の八割以上を占めているわけです。・・一応、学校とか家庭には憲法がいくらか入ってきたけど、それが会社に入ることは一切なかったんですね。」(土肥信雄『それは、密告からはじまった校長VS東京都教育委員会』)
 「『あいまいな日本』とは日本人という主体が、この国の現状と将来において、はっきりした一つの決定・選択をしていない。・・なによりそれは、過去についての国の誤ちをはっきりさせないままでいる。その国の人間として、責任をとらずにいる、という状態です。」(大江健三郎「私らは犠牲者に見つめられている」『世界 2011・5』)

~ 石原都知事「今までと同じようにやる」~

 佐高氏が言うように、「憲法番外地」の「会社」目線から「学校現場」を見れば、「日の丸・君が代」を「一方的に押しつける教育」の問題も見えないのかもしれない。そして、大江氏が言うように、戦争責任・戦後責任を明確にしない戦後の「日本国民の総意に基く」天皇が「君が代」の「君」として「学校現場」に強制されても、それは「基礎的知識」であるとされる。国家シンボル一般であれ、「日の丸・君が代」であれ、象徴天皇制であれ、その強制は思想・良心の自由を侵害する。
 何より、私たちは、「民主的で文化的な国家」の首都で憲法をないがしろにする数々の差別発言・暴言・強制を繰り返す人間が知事に選ばれる現実であることを、確認しなければならない。その知事は当確直後、「今までと同じようにやる。」と言った。従って、私も抵抗を続けなければならないと思う。

口頭弁論[原告本人尋問] 傍聴よろしく
4/28(木)13時30分 地裁527号


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