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2010年12月4日土曜日

累積加重処分取消裁判を支援する会ニュース(第16号続)

第4回口頭弁論が開かれました

都教委側の「答弁書」、形式に終始する

 提示されたものはほとんど内容に踏み込んでいない。
  1. 「10.23通達」が職務命令を拘束していることは否認。
  2. 八王子市教委の通達が校長の裁量を制約したのは当然。
  3. 職務命令は校長の判断によって発出された。
  4. 原告は職員会議において「(式次第から)国歌斉唱を削って欲しいと思っている」と異議を述べた。
  5. 原告の不起立は信用失墜行為である。

 ここでは、都教委通達、市教委通達、職務命令が原告の思想良心の自由を侵害し、教育の自由を圧迫する不当な支配・介入であることを解明していない。特に原告の不起立・不斉唱が価値中立性が担保されていない論争的課題に対する多様な考え、行動を示す生徒への教育実践であることについては何らふれていない。口頭弁論の中でぜひ展開したい。
 さらに証拠説明書では、先行する高裁判決を持ち出し「国旗、国歌は、軍国主義等を示す意味合いではな」い、と述べている。日本国自衛隊は今や世界有数の軍事力を装備しアメリカとの軍事同盟を締結し軍事基地を有する。「日の丸・君が代」は海外派兵など軍事行動に大いに利用されている。都教委による学校教育への一律起立・斉唱強制は固くリンクされている。

4人の証人申請

今回、原告本人を含め4人の証人尋問を申請した。これに対して、裁判長は原告本人の尋問は認めたが、他の3人については年明け1/13の進行協議で決定するとした。従って、次回の口頭弁論の日程は未定です。

2010・3停職処分の併合決定

07,08,09,10の4回の累積加重処分の取り消しを求める



停職1ヶ月処分(2010・3)の併合にあたって

  1. 今年の3月30日、都教委の担当官2名が勤務校、八王子五中に処分辞令をもってきた。翌日3月31日付で定年退職を控えていたが、処分内容は停職1ヶ月であった。こうして33年目の最後の一日の停職処分執行となった。このことからも都教委の一貫した累積加重処分の理不尽さは明確である。
  2. 4回の累積加重処分の背景となっている「日の丸・君が代」は価値中立的ではなく論争的主題である。一律起立・斉唱強制は、旭川学テ最高裁判決が提示した教育の本質的要請、「子どもの教育が教師と子どもの間の直接の人格的接触を通じ、その個性に応じて行わなければならないという本質的要請」における正に「直接の人格的接触」という職務の場面で進行した。裁判官の職務に照らして考えるならば、“一方の証言・陳述を訊くことを禁止された中で審理を進め判決を出すことを強制されている”に等しい。
  3. この強制に対して、私の連続不起立・不斉唱は生徒に多様な考え・多様な行動の可能性を示す一貫した教育実践である。
  4. 裁判官が公正な審理を進め、都教委「10・23通達」、職務命令の違憲、違法、不当性が明確になる判決を望む。
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累積加重処分取消裁判を支援する会ニュース(第16号)

第4回口頭弁論、傍聴ありがとうございます

都教委側の「答弁書」、形式に終始する

 原告の訴状に対して本日提示されるものはほとんど内容に踏み込んでいない。
  1. 「10.23通達」が職務命令を拘束していることは否認。
  2. 八王子市教委の通達が校長の裁量を制約したのは当然。
  3. 職務命令は校長の判断によって発出された。
  4. 原告は職員会議において「(式次第から)国歌斉唱を削って欲しいと思っている」と異議を述べた。
  5. 原告の不起立は信用失墜行為である。
 ここでは、都教委通達、市教委通達、職務命令が原告の思想良心の自由を侵害し、教育の自由を圧迫する不当な支配・介入であることを解明していない。特に原告の不起立・不斉唱は、価値中立性が担保されていない論争的課題に対する多様な考え、行動を示す生徒への教育実践であることについては何らふれていない。口頭弁論の中でぜひ展開したい。
さらに証拠説明書では、先行する高裁判決を持ち出し「国旗、国歌は、軍国主義等を示す意味合いではな」い、と述べている。日本国自衛隊は今や世界有数の軍事力を装備しアメリカとの軍事同盟を締結し軍事基地を有する。「日の丸・君が代」は海外派兵など軍事行動に大いに利用されている。都教委による学校教育への一律起立・斉唱強制は固くリンクされている。

4人の証人申請

 今回、原告本人を含め4人の証人尋問を申請した。これに対しても都教委側は原告以外の証人を不必要としている。その中で卒業生について、通達は「生徒を対象とするものではなく・・尋問を行う要はない」としている。教員に対する強制が生徒の学習の自由を侵害していることこそ解明されるべきである。

07,08,09,10の4回の累積加重処分の取り消しを求める

 第5回口頭弁論 ( )月( )日( )(     )地裁   号



停職1ヶ月処分(2010・3)の併合にあたって

  1. 今年の3月30日、都教委の担当官2名が勤務校、八王子五中に処分辞令をもってきた。翌日3月31日付で定年退職を控えていたが、処分内容は停職1ヶ月であった。こうして33年目の最後の一日の停職処分執行となった。このことからも都教委の一貫した累積加重処分の理不尽さは明確である。
  2. 4回の累積加重処分の背景となっている「日の丸・君が代」は価値中立的ではなく論争的主題である。一律起立・斉唱強制は、旭川学テ最高裁判決が提示した教育の本質的要請、「子どもの教育が教師と子どもの間の直接の人格的接触を通じ、その個性に応じて行わなければならないという本質的要請」における正に「直接の人格的接触」という職務の場面で進行した。裁判官の職務に照らして考えるならば、“一方の証言・陳述を訊くことを禁止された中で審理を進め判決を出すことを強制されている”に等しい。
  3. この強制に対して、私の連続不起立・不斉唱は生徒に多様な考え・多様な行動の可能性を示す一貫した教育実践である。
  4. 裁判官が公正な審理を進め、都教委「10・23通達」、職務命令の違憲、違法、不当性が明確になる判決を望む。
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2010年11月21日日曜日

累積加重処分取消裁判を支援する会 ニュース(第15号)

新教育基本法実働化の中の愛国心・「日の丸・君が代」
~月刊『現代教育科学』(明治図書出版)に表れた先導論~

 愛国心・公・修身 上記の月刊雑誌には大学などの研究者だけでなく小・中・高の学校現場の教員が投稿している。ほとんどの論考が、現在進められている新教育基本法、新学習指導要領の推進を展開している。戦後教育の中で進められてきた子どもの個性ある成長をはかる教育を攻撃し、国家の意向に従う路線が強く主張されている。
 「相変わらず国家や愛国心をタブー視する・・・脱却すべき『戦後教育観』とは、歴史を無視し、殊更に国家を基軸とする『公』(公意識)を敵視することで教育理念を弄び歪めてきた政治性である。」(貝塚茂樹「『公』を敵視する二項対立図式からの脱却」2009.12)
 「教師の多くが、戦後一方的に否定されてきた日本の『昔の教育』の中に、実は尊い、本物の教育があったことに気づき、その復活、再生、再興をこそなすべきだと考え始めている。例えば、愛国心の問題である。国旗、国歌の教育の問題である。」(野口芳宏「むしろ『修身』の良さを学べ」2010.9)
 小学校の教科書に「神話」が取り入れられたり、全教科に道徳課題が挿入される事態の背景である。
 不起立の意味 多くの論者が集中攻撃するのは「学テ最高裁判決」と「ピアノ最高裁判決藤田反対意見」である。これらの正当な判決・意見を歪曲し、「教育行政機関の行為」が「不当な支配となりえない」とする。「特定の歴史観や世界観を教師の具体的な職務と関係なく思想及び良心の自由として主張するのはラフすぎると言える。」(江間史明「『自分の身に国を引き受ける』ことを考える」2010.1)あたかも不起立・不斉唱・不伴奏が教育実践と関係ないかのように描き出している。不起立は、教員が果たすべき「職務」である。       
 教育の自由(学習の自由・教授の自由)を大いに語らなければならない。

 第4回口頭弁論 (12)月(2)日(木)(16:30~)地裁527号

*裁判所より’10停職処分の併合通知があり、計4件の累積加重処分が審理対象となります。誰を証人採用するかが決定される見込みです。傍聴、よろしく。

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2010年11月2日火曜日

累積加重処分取消裁判を支援する会ニュース(第14号)

それでも、そして学校現場への強制・統制は進む

 尖閣列島(釣魚島)問題をきっかけに、安倍政権時代にもまさる「国益」優先ナショナリズムと排外主義の横行が見られる。政府も政党もこぞって国民の愛国主義をあおっている。「尖閣に領土問題はない」とは、かの「蒋介石政権を相手にせず」を想起させ、もはや実力(武力)行使しかないところに踏み込む危険さえ感じる。その領有の根拠が日清戦争(甲午戦争)中の1895年1月の「内閣決定による先占」だという。再考を要する。
 さて、06教育基本法の実働化はいよいよ新学習指導要領の実施へと進む。道徳教育への導入では「小学校新教科書の仰天内容」(俵義文『週刊金曜日第820号』)参照。「日の丸・君が代」では文科省の『08解説』で「社会科における指導などとの関連を図り」として、「国際的な儀礼」が強調されている。校内の職階制と共に、教育内容への介入が本格化する。

2011'めぐりくる春'へ向けて

 2003「10・23通達」から8回目の卒業式・入学式を迎えることになる。先日の全国原告団学習・交流集会では、各地の緊迫した情況の中で「戦術転換をして不起立行動を中止するという決定をした」という報告も出された。また、北海道では「いろいろな考え方があることを子どもたちに知らせたい」として入学式で不起立を貫いた教員が「見せしめ」処分された。正に一人の不起立が、一律起立・斉唱の国家忠誠表明強制に風穴を開ける。
 来春の情況は特別な意味を持つ。簡単にその課題を列挙する。
  1. 学校現場で不起立・不斉唱・不伴奏を含む多様な取り組みを強化する。
  2. 裁判では、広範な世論の力を背景として強制を止める判決を勝ち取る。
  3. 都知事選をはじめとする地方選で、「日の丸・君が代」強制に批判的な勢力の前進を図る。
 私たちの運動の基本は学校現場であり、懲戒処分・分限処分の攻撃にさらされている教職員の皆さんと固く連帯して進んでいきたい。

 第4回口頭弁論 (12)月(2)日(木)(16:30~)地裁527号
  *裁判所より'10停職処分の併合通知があり、計4件の累積加重処分が審理対象となります。誰を証人採用するかが決定される見込みです。

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2010年10月8日金曜日

累積加重処分取消裁判を支援する会ニュース(第13号)

本日は傍聴、ありがとうございます。

 第3回口頭弁論にお越し頂きありがとうございます。原告(近藤)、被告(都教委)の主張、証人の予定も出そろい、いよいよ本格的な論争が行われることになります。まもなく原告本人、証人尋問が行われるでしょう。改めて簡潔に原告としての主要な論点を提示します。
1,「日の丸・君が代」の強制に反対する思想・良心の核心は、これまで培ってきた反戦平和である。アジア・太平洋戦争への反省はもちろん、現在の日本国自衛隊は世界でも有数の軍事力を保有し、世界最強の大量破壊・殺傷力を持つアメリカ軍と軍事同盟を結びその基地が置かれ、軍国日本の状況を呈している。また、"国破れて国体あり"が戦後日本の出発であり、1999年以来「君が代」の「君」は天皇であるというのが政府の公式見解であり、都教委による「日の丸・君が代」強制こそ皇国思想推進を如実に示している。
 
2,不起立・不斉唱は都教委が進める一斉起立・斉唱の強制に対する拒否であると同時に、教授の自由に基づいて生徒に多様な考え多様な行動を示す教育実践であり公務の遂行であった。「日の丸」にではなく、生徒に正対して行った不起立・不斉唱は生徒をはじめ多くの参列者が確認できたと思う。
 
3,2003年「10・23通達」以来7年間の事態は、延べ430名の処分に示されるように戦後教育史上突出した、教育の自由に対する大弾圧事件であり、学校現場の児童・生徒及び教職員へ深刻な影響を及ぼしている。この間の教育基本法の改訂はそれを象徴し、新学校教育関連法、新学習指導要領、新教科書となって実働化されようとしている。
 「日の丸・君が代」強制体制ともいえるこの情況を止め自由な学校を取り戻すため、裁判所には憲法判断を求める。
 
4,裁判を含む強制・処分反対運動は、学校現場の教職員の不服従の闘いが基本であり、不起立・不斉唱・不伴奏を含む多様な取り組みを進め、市民と広範につながることを訴える。広範な市民こそが都教委を追いつめられる。


 第4回口頭弁論 (12)月(2)日(木)(16:30~)

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2010年10月2日土曜日

累積加重処分取消裁判を支援する会ニュース(第12号)

展示―「日の丸・君が代」強制との闘い
(累積加重処分取消裁判―報告)

日時/ 10月3日(日) 10:00~19:00
場所/ 八王子労政会館第1会議室(2F)
     京王八王子駅5分・JR八王子駅10分)
文化祭協力券(一般1000円・学生500円)
     *当日全てのイベントの共通券です。

第13回八王子平和文化祭の展示部門で上記の展示を行います。お近くの方、ふらりと見に来てください。この日は各種展示の他、ホールでは「絹の道合唱団」「琉球古典舞踊」「アニメ『ウミガメと少年』」「砕かれた花たちへのレクイエム」等のイベントや和室では「お点前」も行われます。



* 民事19部、注目の青野裁判長です。傍聴にご協力ください。

累積加重処分取消裁判 第3回口頭弁論
10月7日(木)16:30~
東京地裁 527号
(地下鉄 霞ヶ関駅1番出口)

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2010年9月22日水曜日

累積加重処分取消裁判を支援する会ニュース(第11号)

教授の自由に基づく"不起立"には猶予がない

 "起立"の理由

 次々と進行する口頭弁論も佳境に入り、争点は"不起立""起立"の意味そのものに集中しているようだ。裁判所の判決には次のようなものさえある。
 「自らの意思で国歌斉唱時に起立するか否かを決定して現に起立した者がいることを併せ考えると、原告らにおいて本件各職務命令により命ぜられた国歌斉唱時の起立斉唱行為を実行することが事実上不可能ということもできない。」(平成22.7.15地裁民事19部判決 原告小中10名 青野裁判長)
 これは強制の意味を理解しない、原告を侮辱する内容である。原告のみならず、全都の「日の丸・君が代」強制を憂慮する教職員がどんな気持ちでいるかを、裁判長はほとんど理解していない。"不起立・不斉唱"を実行できなくとも、児童・生徒の個性ある自由な成長を望む教職員は、一律起立・斉唱という思考や感性を遮断する強制に心を痛めている。それはこの間の口頭弁論でも表明された。
 「起立せざるを得ない状況が作られ、意に反して起立してしまったことの罪悪感。」(『被処分者の会 通信弟68号』)<退職後の教職継続を考えると"不起立"行為を継続できない>、<自分が処分されることによって全体の教職員が校内研修を義務づけられるため"不起立"をくり返せない>等、苦渋の選択に追い込まれたことが語られた。

 それでも連続"不起立"の理由

 "不起立・不斉唱・不伴奏"の動機にはそれぞれの者の思想・良心・信教などの背景がある。また、何十年かの職歴がある。それは尊重されるべきであり、その行為に対する処分はもちろん不当である。だが、そのような背景のない者にも、子どもの自由な成長を願い、仕事に取り組んでいる教職員には、「日の丸・君が代」強制は許せない。自らの職務に関わって、目の前の児童・生徒に正確なシグナルを送らなければならない。「10.23通達」以来7年、連続"不起立"の教育的意味は変わらない。現場の教職員の勇気ある行動に期待する。

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2010年8月31日火曜日

累積加重処分取消裁判を支援する会ニュース(第10号)

<G>:生徒・保護者・来賓の面前で・・・
(都教委「準備書面(1)」への反論シリーズ⑦)

 このシリーズも最後。不起立・不斉唱・不伴奏行動とは何か。
 都教委の弁:「起立しないという行動をとることは、児童・生徒の入学式・卒業式において、国旗・国歌について指導を受けるという教育を受ける権利を侵害するものである。」「式に参列する来賓や保護者に対して不信感を抱かせるだけでなく、・・君が代斉唱時に起立しない教職員がいることで、こうした者が、嫌悪感や不快感を覚えるだけでなく、厳粛で清新な気分を味わおうとして式典に臨んだ際に抱いていた期待を大きく損なう」(P44)
 「当該違反行為は、入学式、卒業式という重要な学校行事において生徒、保護者、来賓の面前で行われたものであり、教育公務員の職に対する信用を傷つける行為」(P72)
 まず「面前で・・」について、これこそ都教委が進める強制の性格をよく示している。教員に対して「日の丸・君が代」研修を強制するものではなく、また「日の丸・君が代」レポート提出を強制するものでもなく、児童・生徒への指導場面で強制を貫徹しようとするものである。そして処分を構えた一律起立・斉唱強制という教授の自由・学習の自由の侵害については無自覚である。
 先日傍聴した地裁原告証人尋問の中で、都教委代理人は反対尋問で「原告の不起立は生徒・保護者から見えたと思うか。」「国旗が壇上に掲揚されている会場に入ること自体は思想・良心の侵害だとは思わなかったか。」と提起した。まさしく、不起立・不斉唱の意味について、教職員が公務として儀式に臨み、「君が代斉唱」時も児童・生徒指導する義務があることを前提として、裁判官に「原告=反教育者・保護者無視・儀式破壊者」の印象を与えようとした。
 私の場合、はっきりと言いたい。<国旗掲揚、国歌斉唱が行われようとも生徒がいる限り指導する義務があり、制限された教授の自由に基づき、日の丸に対してではなく生徒に正対して不起立・不斉唱することによって会場内の一律起立・斉唱を阻み、生徒にはよく見える位置にあり多様な考え、多様な行動の存在を確認できたと思う。保護者のみならず来賓にも、生徒にも色々な考えの方がいるのに、価値中立的でないものを強制しているのは都教委である。>

今後とも、「日の丸・君が代」問題を多くの皆さまと考えていきたいと思います。よろしくご教示ください。

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2010年8月25日水曜日

累積加重処分取消裁判を支援する会ニュース(第9号)

<F>:地教委の「権限」(都教委「準備書面(1)」への反論シリーズ⑥)

 都教委の弁:「教育委員会(八王子市教委)は・・必要かつ合理的と認められる範囲で、教育の内容及び方法に関しても国に比してより具体的な基準を設定し、必要な場合には具体的な命令を発する権能を有し、その責務を負っているのである。」(P52)
 「『不当な支配』とは国民全体ではない一部の勢力による介入であり具体的には、政党、官僚、財界、労働組合などによる介入ということになる。」(P53)

 ここで都教委が持ち出してくるのが地教行法23条「五 学校の組織編成、教育課程、学習指導、生徒指導及び職業指導に関すること」を「管理し、及び執行する」「権限」である。これでもって地教委は大綱的基準に縛られないから「10・23通達」や「市教委通達」は不当な介入ではないという。旭川学テ最高裁判決をも曲解し、国と地教委の形式的権限調整の問題を憲法問題の上位に置いている。現場の教職員にとって、日常的に不当な介入の危険性を感じ、また現実に<不起立を監視する市教委職員の派遣>などの介入を行っているのは教育委員会である。これを転倒させて「教育基本法10条1項の立法主旨からしても、地教委の有する教育に関する固有の権限の行使については、原則として同項の『不当な支配』に該当することはない。」(P61)とする。噴飯ものである。
 さらに、儀式の内容、方法は地教行法23条5号により「教育委員会(・・教育委員会の権限に属するすべての事務をつかさどる権限を有する教育長を含む。)と学校(具体的には、学校教育法28条3項、51条、76条により教育課程の編成を含む学校運営上必要な事項をつかさどる権限を有する校長)とが決定するものである。」(P67)という。これでは、学校=校長であり、儀式における「日の丸・君が代」の扱いは教育委員会と校長が決め、不服従者が存在する学校では校長が職務命令を発するのも至極当然ということになる。教育内容や方法は、児童・生徒の意見を聞き、校長も含め教職員が共同して作り上げるという考えは、さらさらみられない。
 都教委の論は、教育委員会が最高裁判決の大綱的基準にも教育基本法の「不当な支配」条項にも縛られないフリーハンドをもつという独断を展開する。

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2010年8月16日月曜日

累積加重処分取消裁判を支援する会 ニュース(第8号)

<E>:職務命令と服務の宣誓(都教委「準備書面(1)」への反論シリーズ⑤)

 都教委「準備書面(1)」は、原告=近藤の不起立が「非違行為」「信用失墜行為」であることを印象づけるためか、各所で次のように述べる。
 都教委の弁: 「自ら、服務の宣誓をし、服務上の義務を負うことを確認している。」(P41) 「服務の宣誓をし、誠実かつ公正に職務を執行することを約しているにもかかわらず、・・」(P42) 「・・義務の履行により原告の思想・良心の自由が制約されても、それは自らの自由意思によってかかる法律関係に入った原告にとってやむを得ない制限であり、受忍すべきものである。」(P46)
 憲法・法律の遵守・服務の宣誓は、都教委や校長の「専制」による「隷従」を意味しない。「10・23通達」「職務命令」が合憲・合法なのかどうかを審理しているのに、都教委は"黙って従え"という。「日の丸・君が代」強制の本質みたりということか。ある教育委員は「起立、斉唱の形から入れ」「不起立者というガン細胞を根絶しろ」と言った。教育委員は、選挙で選ばれた都知事によって任命されている。その意味で都民を代表しているが、日常的なチェックが必要だ。また、職務命令一般を否定するのではなく、「旅行(出張)命令」は公務災害適用等身分保障の意義もある。そして、06教育基本法では消されたけれど「教育は国民全体に対し直接責任をもって行い」、旭川学テ最高裁判決では「直接の人格的接触を通して」と教育の本質が規定された。
 違憲・違法な職務命令による一律起立・斉唱という国家忠誠表明を拒否すると共に、教授の自由により、職務の遂行として不起立・不斉唱を実行し、生徒に多様な行動の可能性や国家・国旗・国歌などを考えるきっかけを提示する必要がある。不起立時、副校長は、そばまで来て「起立、斉唱を命じ」「現認した」と通告した。これこそ教育実践に対する干渉・妨害である。
 もしも、生徒が不起立教員に説明を求め自主的な行動をとるならば、丁寧に指導していくことが重要である。それによって国家忠誠表明儀式が一時ストップしても、それは意義のあることだ。裁かれるべきは強権的な都教委であり、一日も早く強制を停止しなければならない。そのためには、現場の教職員が教育的良心に基づいて不起立・不斉唱・不伴奏を含む多様な取り組みを進め、広範な市民と共同することである。

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2010年8月9日月曜日

累積加重処分取消裁判を支援する会 ニュース(第7号)

<D>:皇国思想・軍国主義(都教委「準備書面(1)」への反論シリーズ④)

都教委は「日の丸・君が代」をひたすら暗い過去から切り離そうとしている。だが「日の丸・君が代」は山や川のような自然のものではない。
都教委の弁: 「現在、日の丸を国旗として、また君が代を国歌として認容する国民の多数の意識は、もとより過去の偏狭な皇国主義、軍国主義に基づくものではなく、日本国憲法の掲げる平和主義、国民主権の理念に基づき、日の丸、君が代に、その象徴としての役割を期待しているところにあるものである。」(P66)
いつの間にか、「日の丸・君が代」が「平和主義、国民主権」の象徴になっている。国旗・国歌法成立時の国会で当時の小渕首相は「君」は天皇のこと「君が代」は日本国のことであるとした。

都教委の弁: 「法律上、日の丸は国旗であり、君が代は国歌であり、そして・・国際社会においても、その歴史的沿革がいかなるものであろうとも、国旗・国歌は尊重されるべきとの共通の認識が存在している」(P65)
「歴史的沿革がいかなるものであろうとも」とは、よく言ったもの。何しろ「日の丸・君が代」も天皇制も引き継いだものだから、都合よく解釈を変えなければならなくなった。
まず、都教委は憲法や法律に書かれているから、人間の意識や考えもそうなんだと言う。憲法や法律によって政治制度は変わった。戦前の絶対主義天皇制がそのまま再登場するのではなく、相似的復活を警告せざるを得ない。戦前の自存自衛・アジア解放の戦争目的と、現在の国益追求・国際貢献の自衛隊派遣は架空のものではない。イラクで、ペルシャ湾で「日の丸・君が代」はしっかりその役割を果たしてきた。これからはアメリカとタッグを組んで旗を振るのかも。戦前・戦後の連続性を支え、触媒となっているのが、戦争責任に対する無反省と教育の国家統制である。「日の丸・君が代」強制、不服従教職員への処分は、都教委がどう否定しようとも歴史を貫く事実である。
改憲は9条だけがターゲットではない。「教育で日本の歴史や伝統の価値観を教えることを、なんとか憲法に書きこみたい」(2010.5.3第12回公開憲法フォーラムでの櫻井よしこ氏の発言)政権、国民はどこまで許すか。

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2010年8月7日土曜日

累積加重処分取消裁判を支援する会 ニュース(第6号)

<C>:国際儀礼(プロトコル)(都教委「準備書面(1)」への反論シリーズ③)

 「起立する」は憲法、教育基本法、国旗・国歌法、学習指導要領のどこにも示されていない。そこで持ち出されたのが国際儀礼である。2008年版の学習指導要領に対する文科省「解説」では「国旗及び国歌の指導については、社会科において、『国旗及び国歌の意義並びにそれらを相互に尊重することが国際的な儀礼であることを理解させ、それらを尊重する態度を育てるよう配慮すること』としている。」と付け加えられた。やっとのことでリンクさせたが・・・。
 都教委の弁: 「プロトコル(国際儀礼)でも、国旗に正対し、国歌演奏するにあたっては自国他国を問わず、起立することが国際的な慣習であることが示されており、そうした常識を教えるために行う指導である。」(P19)
 都教委が取り上げる外務省外務報道官編集『やさしい国際儀礼』さらには『国際儀礼に関する12章』では、首脳会談やレセプションでの「国際的な慣例」「起立と注視が原則」とされているに過ぎない。都教委は、起立・斉唱が「慣習」「常識」「予定するところ」と繰り返しているが、学校教育の場での一律起立・斉唱は決して国際的な常識ではない。ましてや懲戒処分を構えた強制は、日本国東京都教委の「特異技」に過ぎない。国際的にはあちこちで非難と嘲笑の対象になっているらしい。
 そもそも、国際儀礼(を学ぶ)と強制ほど相反するものはない。外国人児童・生徒にとっては違和感と共に日本国に対する一層の嫌悪を誘引する可能性がある。思想、良心、信仰から「日の丸・君が代」を拒否する者、国家忠誠表明を拒否する者にとっては苦痛でしかないであろう。
 国際儀礼は、自国の国旗や国歌への自由で寛容ある対応によってこそ醸成されるものである。われわれが国際的に儀礼を払われるには何が必要なのだろうか。戦後65年になってもまともな戦争責任を果たさない日本国と日本人に、謝罪と賠償を要求する戦争被害者が共通して望んでいるのは「再び残虐な侵略行為を繰り返さないための日本の次世代への教育」である。
 もしも、多くの戦争被害者にとって悪夢を呼び起こすであろう「日の丸・君が代」の強制を、日本の教職員が受忍するようなことがあったらそれこそ国際的信用を失う。都教委は「日の丸・君が代」が変わったというのだが・・。
 この点は次回に展開する。

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2010年8月3日火曜日

累積加重処分取消裁判を支援する会 ニュース(第5号)

<B>:学習指導要領 (都教委「準備書面(1)」への反論シリーズ②)

 都教委の弁: 「起立斉唱することが前述の学習指導要領の主旨を逸脱するような『一方的な一定の理論や観念』を生徒に教えることを意味しあるいは強制するものとは到底言えない。」(P30)
 学テ最高裁判決を十分に意識しているが、教職員に懲戒処分を構えて一律起立・斉唱の職務命令を発することが、どうして「強制」ではないのか。学習指導要領には「起立」とはどこにも提示されていない。
 そして、たびたび持ち出してくるのが<文部科学省「学習指導要領解説」>の「日本人としての自覚を養い、国を愛する心を育てる」という主旨である。ここでは、日本人ではない者や、国に対して様々な考えをもつ者は視野に入っていない。
 都教委は、この文書の中で少なくとも4カ所「範を示すべき教職員」(P14/21/30/69)と述べている。一律起立・斉唱という国家忠誠表明を生徒の前で行うことが「範を示す」ことだというわけである。起立・斉唱に対する行為は、強制を受忍するかどうかという教育的良心、何をどう教えるのかという教育の自由の問題である。都教委は児童・生徒には強制していないと言いながら、教職員に「範を示せ」と命令している。その意図は明白だ。

 都教委の弁: 「『指導する』とあるのは、儀式的行事も児童・生徒への指導の場面でもあるので、その旨も明示したものである。」(P30)
 もちろん「儀式的行事」は公務であり、教員の教授の自由を発揮して生徒の自由な学習を保障しなければならない。この教授の自由を抑圧しているのが一律起立・斉唱を強制する「10.23通達」であり、「職務命令」である。
 教員がこの抑圧された中でも教授の自由を発揮して公務を遂行しようとするならば、それは不起立・不斉唱・不伴奏によって強制を拒否し、児童・生徒に多様な考えや行動があることを提示することである。範を示すとはこのことであろう。
 本質的には児童・生徒に対する教化・強制がはかられていることを考えるならば、教職員個人の思想・良心の自由に対する直接的侵害を回避するとしても、休暇や場外退出・場外勤務は、問題を解決する方策ではない。

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2010年7月29日木曜日

累積加重処分取消裁判を支援する会 ニュース(第4号)

<A>:国旗・国歌法 (都教委「準備書面(1)」への反論シリーズ)

 7/12に上記の文書が、都教委側から提示された。そこで、その主要な内容について紹介し、皆さまの鋭いご意見を期待する。第1回は、国旗・国歌法について取り上げる。

 都教委は、国旗・国歌法成立時の国会での小渕総理・有馬文相の発言を引用して、学習指導要領――10.23通達――職務命令の強制・処分を根拠づけようとしている。
 
「文部大臣が『これによって国旗・国歌の指導にかかわる教員の職務上の責務について変更を加えるものではございません。』と述べていることを受け、改めて、学習指導要領に基づいた指導を徹底するための協議を深めた。」<「準備書面(1)」P7 *以後ページのみを示す>

 都教委は、国旗・国歌法の成立を期して「適正実施」の名の下に強制の具体化に入ったことを白状している。
 実際には、野中官房長官は、次のように述べていた。
 「学校現場では・・強制的にこれが行われるんじゃなく、それが自然に哲学的にはぐくまれていく・・」
 「国旗・国歌の法制化と憲法19条の思想及び良心の自由との関係につきましては、政府といたしましては、法制化に当たりまして、国旗の掲揚及び国歌の斉唱に関しまして義務づけを行うようなことは一切考えていない」
 そして、最近でも「僕は答弁でも、『国旗国歌は強要するものでも何でもない』と言った。・・だから強要も何もしないと。」(野中広務 辛淑玉『差別と日本人』)述べている。
 都教委は、国旗・国歌法が成立するやいなや直ちに「通達」を発し教職員に対して「服務上の責任を問われることがあることを、教職員に周知すること。」とした。
 1999年の時点で、すでに「10.23通達」と同様の内容を強制していたのである。

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2010年7月12日月曜日

累積加重処分取消裁判を支援する会 ニュース(第3号)

第2回口頭弁論、傍聴ありがとうございます、署名349筆、提出

 本日は、被告 都教委の主張を盛り込んだ準備書面が出されました。かなり大部だと聞いています。第1回には顔を出さなかった都教委がやっと本気になったようです。第3回に向けてこれへの反論と証人申請を行います。
 私の方は、意見陳述、都教委(答弁書)への反論で見解を明らかにしていますが、改めて要点を提示します。
  1. 都教委「10.23通達」、八王子市教委通達は一律起立・斉唱の強制など教育内容への不当な介入であり違憲違法である。
  2. 職務命令は、教職員の思想及び良心の自由を侵害し、それにより生徒への強制をはかるものであり、教育の自由の侵害である。
  3. 私の不起立・不斉唱は、強制によって抑圧された中での教授の自由に基づく公務遂行であり、生徒に異なる考え、異なる行動を示したものである。
  4. 都教委の処分は正当な教育実践に対する弾圧であり、「10.23通達」以来400名以上の処分は戦後教育史に残る大弾圧事件であり、決して容認できない。

第3回口頭弁論 (10)月(7)日(木)曜日(16)時(30)分
次回も、多くの方の傍聴をお願いします。自由に傍聴できます。
東京地裁(527)号(地下鉄 霞ヶ関駅A1)

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2010年6月29日火曜日

累積加重処分取消裁判を支援する会 ニュース(第2号)

被告 都教委(答弁書)に反論する
~第2回口頭弁論に向けて~

 皆さま、6月も月末、梅雨のさなか、元気にお過ごしでしょうか。第2回口頭弁論が迫ってきました。今回は、都教委がどんな主張をしているか、その「答弁書」からまとめました。考えてみてください。

1:逃げる都教委

 「答弁書」では、都教委「10.23通達」は「八王子市立学校の校長を拘束するものではなく、その効力は本件と全く関連がない。」と断じている。また、通達や職務命令は校長・教職員に発せられたもので、「子どもの権利条約」にかかる「子どもに対する強制を全く含まず」としている。毎回「卒業式実施要項案」審議の折りには、都教委通達・市教委通達が提示され、教職員に処分を構えて強制することは子どもへの強制と関係ないのでしょうか。

2:系統的に強制を追求してきた都教委

 短い「答弁書」ではあるが、都教委は巧妙にもこの20年間の強制追求を述べている。「平成元年から取り組んでおり」「平成11年8月13日・・・国旗・国歌法公布・施行」「平成15年10月23日付の通達」と、天皇死去大キャンペーン、学校現場への義務づけ、そして強制・処分へとエスカレートさせた。

3:地教委の権限を振りかざす都教委

 「答弁書」は「教育委員会は国の場合と異なり、大綱的基準にとどめなければならないものではない」として「教育の内容及び方法」にも「関与」できるとする。ここでも、旭川学テ判決と地方分権を曲解している。

4:「不起立・不斉唱」を敵視する都教委

 都教委通達は「常識的なもの」「創意工夫や裁量の余地は十分に残されている」という。一律起立・斉唱に凝り固まった論。私が「児童、生徒、保護者、来賓等が多数出席するなかでの非違行為」を行ったとしている。「不起立・不斉唱」で、生徒に多様な考え、行動の可能性を示していくしかなかった。

第2回口頭弁論 7/12(月)10:30~ 527号
今回も、多くの方の傍聴をお願いします。自由に傍聴できます。
東京地裁(地下鉄 霞ヶ関駅A1)

2010年6月2日水曜日

累積加重処分取消裁判を支援する会ニュース(創刊号)

第1回口頭弁論(5/17) 報告

 東京地裁民事19部527号法廷で、原告本人の意見陳述が行われました。その要旨は次のようです。

A:私の思想形成

 中国東北部「満州」からの引き揚げ家族の中で、反発・反戦から不再戦の考えをもつに至った経過、「日の丸・君が代」強制が原告の思想・良心の自由を侵害することの根本的批判が示されました。

B:教育現場での経験

 33年間の教員生活最後の1日は停職処分、つまり、都教委から見れば"不適格教員"とされましたが、特に17年間の夜間中学勤務においては、中国やベトナムなどの生徒から戦争責任、戦後責任を追及され、日本の教員の姿勢を糾されたことを述べました。

C:「10.23通達」以後の不起立・不斉唱と処分の経過

 7回の卒業式において、当初2回は不起立・不斉唱できなかったこと、その後5回の行動で、本件事案3回(07.08.09)を含む4回の累積加重処分を受けてきたことが報告されました。

D:不起立・不斉唱の意義

 強制下で、限定され抑圧された教授の自由を発揮して、生徒の学習権を保障するためには、不起立・不斉唱により多様な考え・行動が可能なことを提示するしかなかったのです。つまり、不起立・不斉唱は公務としての教育の自由に基づく教育実践であり、都教委の処分はそれに対する弾圧であり決して許すことはできません。
 この裁判が、強制・処分に対する憲法判断の判決を出すことを強く要求します。

 この裁判は、累積加重処分取消と人事委の不当裁決取消の2つの事案が並行して進められます。皆さまのご協力により傍聴席は満席にもかかわらず、都教委は出席せずその対応は第2回目以後に持ち越されました。
 また、多くの方から傍聴しての感想・意見が寄せられました。民事19部は関連の訴訟が多く進行しています。私たちの裁判がよい影響を及ぼすことが期待されます。

第2回口頭弁論 7/12(月)10:30~ 527号
次回も、多くの方の傍聴をお願いします。