<E>:職務命令と服務の宣誓(都教委「準備書面(1)」への反論シリーズ⑤)
都教委「準備書面(1)」は、原告=近藤の不起立が「非違行為」「信用失墜行為」であることを印象づけるためか、各所で次のように述べる。
都教委の弁: 「自ら、服務の宣誓をし、服務上の義務を負うことを確認している。」(P41) 「服務の宣誓をし、誠実かつ公正に職務を執行することを約しているにもかかわらず、・・」(P42) 「・・義務の履行により原告の思想・良心の自由が制約されても、それは自らの自由意思によってかかる法律関係に入った原告にとってやむを得ない制限であり、受忍すべきものである。」(P46)
憲法・法律の遵守・服務の宣誓は、都教委や校長の「専制」による「隷従」を意味しない。「10・23通達」「職務命令」が合憲・合法なのかどうかを審理しているのに、都教委は"黙って従え"という。「日の丸・君が代」強制の本質みたりということか。ある教育委員は「起立、斉唱の形から入れ」「不起立者というガン細胞を根絶しろ」と言った。教育委員は、選挙で選ばれた都知事によって任命されている。その意味で都民を代表しているが、日常的なチェックが必要だ。また、職務命令一般を否定するのではなく、「旅行(出張)命令」は公務災害適用等身分保障の意義もある。そして、06教育基本法では消されたけれど「教育は国民全体に対し直接責任をもって行い」、旭川学テ最高裁判決では「直接の人格的接触を通して」と教育の本質が規定された。
違憲・違法な職務命令による一律起立・斉唱という国家忠誠表明を拒否すると共に、教授の自由により、職務の遂行として不起立・不斉唱を実行し、生徒に多様な行動の可能性や国家・国旗・国歌などを考えるきっかけを提示する必要がある。不起立時、副校長は、そばまで来て「起立、斉唱を命じ」「現認した」と通告した。これこそ教育実践に対する干渉・妨害である。
もしも、生徒が不起立教員に説明を求め自主的な行動をとるならば、丁寧に指導していくことが重要である。それによって国家忠誠表明儀式が一時ストップしても、それは意義のあることだ。裁かれるべきは強権的な都教委であり、一日も早く強制を停止しなければならない。そのためには、現場の教職員が教育的良心に基づいて不起立・不斉唱・不伴奏を含む多様な取り組みを進め、広範な市民と共同することである。
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