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2010年9月22日水曜日

累積加重処分取消裁判を支援する会ニュース(第11号)

教授の自由に基づく"不起立"には猶予がない

 "起立"の理由

 次々と進行する口頭弁論も佳境に入り、争点は"不起立""起立"の意味そのものに集中しているようだ。裁判所の判決には次のようなものさえある。
 「自らの意思で国歌斉唱時に起立するか否かを決定して現に起立した者がいることを併せ考えると、原告らにおいて本件各職務命令により命ぜられた国歌斉唱時の起立斉唱行為を実行することが事実上不可能ということもできない。」(平成22.7.15地裁民事19部判決 原告小中10名 青野裁判長)
 これは強制の意味を理解しない、原告を侮辱する内容である。原告のみならず、全都の「日の丸・君が代」強制を憂慮する教職員がどんな気持ちでいるかを、裁判長はほとんど理解していない。"不起立・不斉唱"を実行できなくとも、児童・生徒の個性ある自由な成長を望む教職員は、一律起立・斉唱という思考や感性を遮断する強制に心を痛めている。それはこの間の口頭弁論でも表明された。
 「起立せざるを得ない状況が作られ、意に反して起立してしまったことの罪悪感。」(『被処分者の会 通信弟68号』)<退職後の教職継続を考えると"不起立"行為を継続できない>、<自分が処分されることによって全体の教職員が校内研修を義務づけられるため"不起立"をくり返せない>等、苦渋の選択に追い込まれたことが語られた。

 それでも連続"不起立"の理由

 "不起立・不斉唱・不伴奏"の動機にはそれぞれの者の思想・良心・信教などの背景がある。また、何十年かの職歴がある。それは尊重されるべきであり、その行為に対する処分はもちろん不当である。だが、そのような背景のない者にも、子どもの自由な成長を願い、仕事に取り組んでいる教職員には、「日の丸・君が代」強制は許せない。自らの職務に関わって、目の前の児童・生徒に正確なシグナルを送らなければならない。「10.23通達」以来7年、連続"不起立"の教育的意味は変わらない。現場の教職員の勇気ある行動に期待する。

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