<B>:学習指導要領 (都教委「準備書面(1)」への反論シリーズ②)
都教委の弁: 「起立斉唱することが前述の学習指導要領の主旨を逸脱するような『一方的な一定の理論や観念』を生徒に教えることを意味しあるいは強制するものとは到底言えない。」(P30)
学テ最高裁判決を十分に意識しているが、教職員に懲戒処分を構えて一律起立・斉唱の職務命令を発することが、どうして「強制」ではないのか。学習指導要領には「起立」とはどこにも提示されていない。
そして、たびたび持ち出してくるのが<文部科学省「学習指導要領解説」>の「日本人としての自覚を養い、国を愛する心を育てる」という主旨である。ここでは、日本人ではない者や、国に対して様々な考えをもつ者は視野に入っていない。
都教委は、この文書の中で少なくとも4カ所「範を示すべき教職員」(P14/21/30/69)と述べている。一律起立・斉唱という国家忠誠表明を生徒の前で行うことが「範を示す」ことだというわけである。起立・斉唱に対する行為は、強制を受忍するかどうかという教育的良心、何をどう教えるのかという教育の自由の問題である。都教委は児童・生徒には強制していないと言いながら、教職員に「範を示せ」と命令している。その意図は明白だ。
都教委の弁: 「『指導する』とあるのは、儀式的行事も児童・生徒への指導の場面でもあるので、その旨も明示したものである。」(P30)
もちろん「儀式的行事」は公務であり、教員の教授の自由を発揮して生徒の自由な学習を保障しなければならない。この教授の自由を抑圧しているのが一律起立・斉唱を強制する「10.23通達」であり、「職務命令」である。
教員がこの抑圧された中でも教授の自由を発揮して公務を遂行しようとするならば、それは不起立・不斉唱・不伴奏によって強制を拒否し、児童・生徒に多様な考えや行動があることを提示することである。範を示すとはこのことであろう。
本質的には児童・生徒に対する教化・強制がはかられていることを考えるならば、教職員個人の思想・良心の自由に対する直接的侵害を回避するとしても、休暇や場外退出・場外勤務は、問題を解決する方策ではない。
ニュースへのリンク