<D>:皇国思想・軍国主義(都教委「準備書面(1)」への反論シリーズ④)
都教委は「日の丸・君が代」をひたすら暗い過去から切り離そうとしている。だが「日の丸・君が代」は山や川のような自然のものではない。
都教委の弁: 「現在、日の丸を国旗として、また君が代を国歌として認容する国民の多数の意識は、もとより過去の偏狭な皇国主義、軍国主義に基づくものではなく、日本国憲法の掲げる平和主義、国民主権の理念に基づき、日の丸、君が代に、その象徴としての役割を期待しているところにあるものである。」(P66)
いつの間にか、「日の丸・君が代」が「平和主義、国民主権」の象徴になっている。国旗・国歌法成立時の国会で当時の小渕首相は「君」は天皇のこと「君が代」は日本国のことであるとした。
都教委の弁: 「法律上、日の丸は国旗であり、君が代は国歌であり、そして・・国際社会においても、その歴史的沿革がいかなるものであろうとも、国旗・国歌は尊重されるべきとの共通の認識が存在している」(P65)
「歴史的沿革がいかなるものであろうとも」とは、よく言ったもの。何しろ「日の丸・君が代」も天皇制も引き継いだものだから、都合よく解釈を変えなければならなくなった。
まず、都教委は憲法や法律に書かれているから、人間の意識や考えもそうなんだと言う。憲法や法律によって政治制度は変わった。戦前の絶対主義天皇制がそのまま再登場するのではなく、相似的復活を警告せざるを得ない。戦前の自存自衛・アジア解放の戦争目的と、現在の国益追求・国際貢献の自衛隊派遣は架空のものではない。イラクで、ペルシャ湾で「日の丸・君が代」はしっかりその役割を果たしてきた。これからはアメリカとタッグを組んで旗を振るのかも。戦前・戦後の連続性を支え、触媒となっているのが、戦争責任に対する無反省と教育の国家統制である。「日の丸・君が代」強制、不服従教職員への処分は、都教委がどう否定しようとも歴史を貫く事実である。
改憲は9条だけがターゲットではない。「教育で日本の歴史や伝統の価値観を教えることを、なんとか憲法に書きこみたい」(2010.5.3第12回公開憲法フォーラムでの櫻井よしこ氏の発言)政権、国民はどこまで許すか。
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