~「最高裁追随の枠組」判決に潜ませた「国の教育統制機能」~
累積加重処分取消裁判 原告 近藤順一
「東京都教育委員会が・・・各懲戒処分をいずれも取り消す。」
古久保裁判長の主文冒頭の言い渡しに、満席の傍聴席は少しざわめいた。まもなく、ほとんどの方が内容を理解されたようだ。この事案は極めて単純明快。それだけに判決の意図も表面上は単純そうに見えた。まず、経過を示そう。
1,累積加重処分と処分取消訴訟の経過
2006/3 卒業式で不起立・不斉唱 八王子市教育長「注意指導」
① 2007/3 卒業式で不起立・不斉唱・・戒告処分
② 2008/3 卒業式で不起立・不斉唱・・減給1月
③ 2009/3 卒業式で不起立・不斉唱・・減給6月
④ 2010/3 卒業式で不起立・不斉唱・・停職1月
2010.2.20 ①②③について提訴
2010.10.5 ④について提訴
2010.10.8 ①②③④について併合決定(2011.5/30~7/19 第一波最高裁判決)
2011・7/11 結審予定・・延期(青野裁判長)
2011・8/22 結審(古久保裁判長)
2011・11/17 判決予定・・無期延期
(2012.1/16・2/9 第二波最高裁判決)
2012・4/19 判決(地裁民事19部)
主文
1 東京都教育委員会が、平成20年3月31日付け、平成21年3月31日付け及び平成22年3月30日付で原告に対してした各懲戒処分をいずれも取り消す。
2 原告のその余の請求をいずれも棄却する。
3 訴訟費用は、これを2分し、その1を原告の、その余を被告の各負担とする。
≪目に青葉 山ホトトギス 初鰹≫
この判決は3つの“初”を意味した。まず、最高裁判決後、初の下級審判決、そして、ひとりの被処分者の全処分量定、初の一括判決、さらに、この春の卒業式・入学式後、初の判決である。一人原告訴訟の地裁判決という地味な裁判ステージを少し浮上させた由縁である。
2,見え見えの「最高裁追随の枠組」判決
まず、上記の結審、判決の延期経過からわかるように、東京地裁は最高裁判決を姑息な目で窺ってきたものと思われる。そして、憲法第19条判断では「10・23通達」「八王子市通達」職務命令は合憲、合法であり、「敬意の表明」強制は間接的に制約するが、職務命令には学習指導要領に照らして必要性・合理性があり制約容認性があるとした。
裁量権問題では、戒告是認、減給1月・減給6月・停職1月を取り消した。特に戒告是認の根拠として次の点を上げている。
A:いかなる懲戒処分をするかは懲戒権者の裁量権にあり、「その判断は、それが社会観念上著しく妥当性を欠いて裁量権の範囲を逸脱し、又はこれを濫用したと認められる場合に、違法となる」とする。(これは、直近の2011・7・25地裁判決<青野裁判長>を踏襲している。)
B:2006年の不起立に対する八王子市教育長の「注意指導」、校長の職務命令を「遵守しない」、卒業式の現認時「起立を促されたがなおもこれに従わなかった」。
C:「非違行為を理由に、懲戒処分の中で最も軽い戒告処分を選択したことについては、社会観念上著しく妥当を欠くものとはいえず」とした。
被処分者がどのような意図で不起立・不斉唱を実行したか、職務専念義務が科されている中での強制に対して生徒に異なる考え、異なる行動を示した教育的意義については全く考慮しない。さらに、不起立・不斉唱という正当な教育実践に対する現認時の不当な干渉を転倒して描き出している。副校長こそ教職員の校務遂行を妨害したのである。また、戒告処分が経済的損失、「再発防止研修」の強制、以後の累積加重処分への精神的圧迫、さらには再雇用の拒否などの重大な結果を引き起こすことが考慮・判断されていない。決して「軽い処分」ではない。このことを裁判官に認めさせ、戒告を取り消させなければならない。減給以上の処分については最高裁判決を援用して取り消した。
以上のような「最高裁追随の枠組」判決は、減給以上を取り消したものの基本的には不当な判決であり、裁判所の独立、三審制の意味さえ疑われるものとなった。
*裁判所法第4条:(上級審の裁判の拘束力)上級審の裁判所の裁判における判断はその事件について下級審の裁判所を拘束する。
3, 教育の自由を否定する「国の教育統制機能」論
憲法23・26条について、判決は「入学式、卒業式は・・教科等の授業とは異なり、全卒業生、全入学生、在学生等が参加し、保護者、種々の学校関係者の協力を得て行われる儀式であり、・・一律に定めて実施しようとすることは、儀式としての性格上必要性がある」として、「通達」職務命令の違憲性を否定している。これは、明らかに形式論の展開によって各教職員の教授の自由を否定し、一律起立・斉唱の強制をあからさまに是認しているのである。
判決は「卒業式の式典の運営等が校務の一内容である以上、本件中学校長が本件職務命令を発することができることは明らかである。」として、儀式における統制を重視している。この点、宮川反対意見が「直接指導する場を離れた場面」としているのとは異なる。
不当な支配(教育基本法16条)の問題で特に注目するのは、47教育基本法の前文、第10条を曲解し「国の教育統制機能を前提としつつ」「許容される目的のために必要かつ合理的と認められる介入は、たとえ教育の内容及び方法に関するものであっても・・禁止するところではない」「この理は、地方公共団体においても何ら異なるところはない。」として、国家の「行政権力」と地方の「教育委員会」が一体となって教育に介入、命令することを認めている。従来の判決が、“国は大綱的基準の枠に縛られるが、地方教育行政・教育委員会は指導、助言さらに命令を出せる”としていたのを、大枠としての国家の「教育統制機能」を認めている。これは、現行教育基本法の「教育の目標」(第二条)や「教育振興基本計画」(第十七条)により今後一層強化されるであろう教育内容への介入を容認するものである。また、大阪をはじめ地方行政の首長の強権とのバランスで中央政府の権限強化を図るものである。
また、「日の丸・君が代」裁判の焦点が、学校教育への不当な介入・支配、教育の自由侵害に移る時先手を打って国家の教育統制に対する合憲・合法の枠組を形成しようとするものであり、極めて危険な動向である。
多くの方々に支えられて何とか地裁判決まできた。公正な審理・判決を要請する署名に協力していただいた方、具体的なアドバイスを示してくれた方など直接、間接の援助を頂いた。心から感謝致します。
判決が下された同日には、大阪市教委が3月の卒業式で不起立した教員の処分を発表した。条例施行が背景にあり、これらの教員は入学式では物理的に式典から排除されたそうだ。
報道によると、都教委はこの判決に対して対決姿勢を示している。
「都教委は『判決は遺憾。今後とも職務命令違反については厳正に対処していく』とのコメントを出した。」(朝日新聞)
「都教委の大原正行教育長は『減給・停職処分についての判決は遺憾。内容を確認して訴訟対応したい』とコメントした。」(読売新聞)
都教委は、戒告はもちろん減給・停職処分が裁量権逸脱・濫用であることを決して認めていない。そして、引き続き強制・処分を強行しようとしている。一日も早く「10・23通達」を執行停止させなければならない。
全国で“不起立・不斉唱・不伴奏を含む多様な取組”を進める教職員の皆さま、自由を求める市民の方々、共に裁判を闘う仲間と共に控訴し、教育の自由確保、戒告取消に向けて進んでいきたい。
「4/19地裁判決を受けて」へのリンク