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2011年9月5日月曜日

累積加重処分取消裁判を支援する会 ニュース(第56号)

地裁判決へ向けて争点と運動の結節点!!
第一波最高裁判決に対する実践的批判

いくつかの論調

最高裁判決が出されてからいくつかの見解が公開されている。散見したところ、以下の緒論が見られる。
  1. 勝野正章「『日の丸・君が代』最高裁判決で問われる学校観」(『世界2011.8』)
  2. 西原博史「『君が代』不起立訴訟最高裁判決をどう見るか」(『世界2011.9』)
  3. 土屋英雄「『国旗・国歌』は『強制可能な公的利益』か」(『法律時報2011.9・10号』)
  4. 斎藤貴男他4名「最高裁判決を読んでの私の意見」(パンフ「『日の丸・君が代』強制反対 最高裁は大法廷を開き、口頭弁論を」)
 ここでは全面的な検討はできないが、②については論者の学校教育の「対立関係」規定、即ち「教育行政<対>教師」、「教育行政・教師多数派<対>教師少数派・子ども・親」という枠組を固定するところから、地方行政権力の強化を容認している。今日、教育基本法の実働化や地方自治体・地教委の暴走ともいえる動向の中では危険な側面をもつ。また、「少数派」の思想・良心を取り上げるのに、「教育委員会側の権力策動を重視しない」「東京においては教師の側の運動論的な盛り上がりがむしろ認識を妨げている」と、ことの本質を見ない見解を吐露している。一方では、最高裁が「敬意の表明」という「間接的制約」を認めたことを思想・良心に関わる「重要な一歩」としている。
 ③は、国際的動向から最高裁判決を批判し、自由権規約など国際条約の意義から今後の動向を予見するものである。ただ、竹内裁判官の補足意見を取り上げる中で、論者が中国「義勇軍行進曲」と日本国「君が代」を同列において論じているのは、強制・排外主義を指摘する意図は認めるが、二つの「国歌」に対する歴史認識の点で疑問である。

現場からの実践的批判

 学者や評論家ではなく、弁護士でもない私たちは、より教育実践的に対応したい。まず、判決は起立斉唱が「慣例上の儀礼的な所作」であるから通達、職務命令は「直接に思想・良心を侵害しない」とした。つまり、起立斉唱は「法律・規則上の規定された行為」ではないと言うこと。通達、職務命令によって強制され、それに従わなかったから処分されたことが明白となった。「慣例」と認めるか否か、「所作」を行うか否か、ここに対立、論争があることを最高裁は認めたことになる。
 次に判決は国旗国歌に対する「敬意の表明を含む行為」と認めた。最高裁は避けたのであろうが、シンボルである国旗国歌への「敬意の表明」はその本体である日本国の象徴天皇制国家としての側面への忠誠表明である。これは旭川学テ判決がいう特定の認識を教え込むこと、教える側には柔軟性、裁量の余地がない形態であること等が導かれる。
 例えば、起立するかどうか、斉唱するかどうかの組み合わせでは少なくとも4パターンがある。<起立・斉唱><起立・不斉唱><不起立・斉唱><不起立・不斉唱>である。<国旗に正対するかどうか>まで加えるとパターンはさらに増える。少なくとも指導対象である児童・生徒には離席、退場の自由がある。都教委も「子どもには強制しない」という。<離席・退場>の可能性も含めると選択肢は多様化する。教職員はこのような多様な考え、行動を示すことによって「公平な判断力を養う」態度を身につけさせることができる。これこそが教授の自由であり、学習の自由である。ついでに言えば、私が宮川反対意見中の<教員に場外の役割を与える>ことを批判しているのは、そのような職務命令によって「児童・生徒との直接の人格的接触」をさせないことにより教育活動そのものを否定するからである。教職員が、強制・処分を避けるため自主的に「会場に入らない」(休暇、場外勤務等)こととは別である。
 判決は、式の「秩序を維持」し「円滑な進行」という必要性、合理性のために「敬意の表明=間接的制約」を容認した。「秩序を維持」することは一律起立・斉唱によって一糸乱れぬ「所作」をさせることを意味し、「円滑な進行」とは起立斉唱に疑問をもち態度を保留・変更するのを許さず追従を意味するのであれば、最早それは教育ではなく感化である。

第二波最高裁判決に向けて

 最高裁は教育の自由(憲法23・26条)については「上告事由に該当せず」として取り上げなかった。そのため不起立・不斉唱・不伴奏行為を思想良心の自由の面から判断した。特に第一小法廷の金築補足意見は「当該外部行為が一般的、客観的に意味するところに従って判断すべきと考える。」「本人の主観的判断に委ねてしまうという問題点を少しも解決していない」と断じている。そして「上告人らは、教職員であって、法令やそれに基づく職務命令に従って学校行事を含む教育活動に従事する義務を負っている者である」として「制約を正当化」している。教育の自由への行動を明確にし、それによって処分が裁量権の逸脱・濫用であることをも展開する必要がある。私の場合、戒告、減給、停職という累積加重処分を受けてきたが、不起立・不斉唱の回を重ねるに従って、より正確に生徒に多様な考え、行動を示そうという思いは強くなった。去年不起立して今年は起立するなどということは論理展開の外であった。何より恐れたのは、その時になって動揺し躊躇し生徒に自由の意義が伝わらないことだった。一審判決がどうであれ、二審高裁さらには第二波最高裁判決に向けて言わなければならないことは多い。
 
地裁民事19部に、公正な審理、判決を求める賛同署名
~9月末、第1次しめきり、よろしくお願いします~

今後の予定 報道
*再雇用拒否撤回二次訴訟 地裁口頭弁論 9/12 15:00 103号
*早川公務災害裁判 判決 9/14 15:00 809号
*米山処分取消訴訟 高裁口頭弁論 9/27 15:30 822号
累積加重処分取消訴訟 地裁判決 11/17(木) 13:30 527号


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