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2011年9月28日水曜日

累積加重処分取消裁判を支援する会ニュース(第60号)

地裁判決へ向けて争点と運動の結節点!!
「裁量権を判断していない」論はミスリードに導く!!

第一波最高裁判決は上告棄却・原審確定


 5/30~7/19の三つの最高裁小法廷における11件判決は全て原審である高裁判決を確定した。不当処分確定としては、藤田事件と神奈川こころの自由裁判以外の9件の戒告処分・減給処分を確定した。裁量権問題について最高裁裁判官の間でどのような論議があったのかは判決文に書かれてはいない。反対意見や補足意見を見る限りある程度の議論がなされたことが伺える。特に補足意見では、学校現場の自由を維持するために強制・過度の処分を牽制している面も見られる。
 それでもなお多数意見が戒告・減給処分を確定したのは裁量権逸脱・濫用を認めなかったことを意味している。例えば、5/30判決の嘱託採用拒否事件では裁量権逸脱・濫用を上告理由としていたが、最高裁はこれを却下した。
 このことは現在最高裁に上告されている裁判、高裁・地裁で審理されている事案において戒告・減給処分を取り消させるハードルの高さを規定しているのである。最高裁が独自の論理展開をした憲法19条、「上告事由に該当せず」とした教育の自由(23・26条)、さらには裁量権逸脱・濫用論等について見直しをさせる道はある。それは第一小法廷の枠内では不可能だろう。

二つの「論拠」に有効性はない

 「最高裁は裁量権を判断していない」論の「論拠」として二つのことがいわれている。一つは、裁量権を嘱託採用の裁量権と処分の裁量権を分けて、後者の裁量権について判断していないとするものである。しかし、懲戒処分を受けたからこそ採用が拒否されまた解雇されたのである。そして最高裁はそれを是認したのである。懲戒処分==>不採用・解雇であり、その逆ではない。
 二つ目は、停職処分取消訴訟(高裁判決=停職是認)において第一小法廷が弁論期日を指定していることが挙げられている。停職処分について見直すからといってすでに確定した戒告・減給処分に連動すると見るのは気休めだ。第一波最高裁判決では停職処分の事案はなく、その裁量権については議論されたとしても判断の限りではなかったであろう。停職処分は教授の自由以前に児童・生徒から切り離すことによって教育権の行使自体を奪い経済的にも重大な損害を与えるものである。大阪の免職条例に歯止めをかけるとしたら停職にはストップをかけておくしかない。現に上程された条例案では「標準的な分限処分は、免職とする」という裁量・猶予が付いているようだ。

教育の自由のために、全ての処分を取り消すために最高裁大法廷を開かせよう

 「日の丸・君が代」強制・処分が教育の自由の問題ではないなどという不合理きわまりない判決をできるだけ早く改めなければならない。教育の自由の追求、10・23通達・職務命令への追及こそが都教委の裁量権逸脱・濫用を白日の下にさらすことになる。有無をいわせぬ国家忠誠表明の強制を「慣例」「儀礼」「秩序」等へ逃げ込むのを許してはならない。
 今、私達被処分者、原告は自らの行動を正々堂々と語らなければならない。それは決して勇猛果敢なものばかりではない。躊躇し、動揺し、恐れおののいたこともある、必要なことと可能なことの狭間で悶えたこともある、それでも一瞬でも、自分が考える教員としての理想や希望に向かって行動しようとしたことをはっきりと示さなければならない。ヘマばかりやってきた30数年の教員生活を思えば気恥ずかしい限りだが、コウカイアトヲタタズ。
 今は、共に闘う原告の方々、何よりも学校現場の教職員そして市民の皆さまと共に最高裁大法廷に入り、戒告、減給、停職全ての処分を取り消す弁論をききたいと思う。

地裁民事19部に、公正な審理、判決を求める賛同署名

~9月末、第1次しめきり、よろしくお願いします~
(署名していただいた方は送ってください。また署名用紙を請求してください)

今後の予定 報道
*東京小中「君が代」裁判 高裁口頭弁論 10/11 16:00 424号  
*東京「君が代」裁判三次訴訟 地裁口頭弁論 10/14 15:00 527号
累積加重処分取消訴訟 地裁判決 11/17(木) 13:30 527号 
*河原井・根津停職処分取消訴訟 最高裁第一小法廷 弁論 11/28 10:30

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2011年9月23日金曜日

累積加重処分取消裁判を支援する会ニュース(第59号)

地裁判決へ向けて争点と運動の結節点!!
橋下「大阪維新の会」、教育基本条例提出!!

学校教育への直接介入

 ついに提出された。一部修正はされたが「愛国心および郷土愛にあふれた人材の育成」を掲げ、職務命令違反では「3回目の違反に対する標準的な分限処分は、免職とする」との内容の条例である。東京都では地方公務員法の規定により都教委が裁量権を行使して分限・懲戒処分を行う。累積加重懲戒処分は1回目=戒告、2回目=減給1月、3回目=減給6月、4回目=停職1月、5回目=停職3月、6回目=停職6月となり、「君が代」強制での懲戒免職はまだない。     
 大阪の条例案では「標準的な」を挿入することによって裁量の余地を明示しつつ免職規定している。最高裁第一小法廷が弁論を開き停職懲戒処分を取り消す可能性を見込んだものだろう。11/27に大阪ダブル選挙、11/28最高裁第一小法廷弁論が予定されている。その意味でも停職はもちろん、減給・戒告も含めて全ての処分を取り消させることが重要である。第一波最高裁判決は全ての小法廷で戒告・減給処分を是認した。大法廷を開きこれを見直させることだ。

「日の丸・君が代」強制・処分の歴史的位置

 戦後教育に行政権力から仕掛けられた攻撃の中でも突出している。
 1950年代の勤評闘争、50~60年代の学テ反対闘争(1976:旭川学テ大法廷判決)、60~90年代の教科書裁判、70年代の主任制、その後の職階制(副校長・主幹・主任教諭)攻撃などが進行した。勤評や職階制は教職員の身分・待遇規制であり、学テ、教科書検定は調査・教材という媒介に対する攻撃であった。これに対して「日の丸・君が代」攻撃は、直接に子供への指導内容、指導場面での強制、そして過酷な処分は特筆される。国旗国歌への敬意の表明、国家への忠誠を通して愛国心を醸成する。そのためには自由、自主、自立、公正とは逆の強制、追従、独善を子供に感化することが強要される。教職員の教育活動そのものの存在意味が問われることとなった。60年間日本の教育理念をリードしてきた47教育基本法が改定されたのは、決定的な意味をもった。

学校現場を基本に

 不服従抵抗に対する処分の行き着く先が免職と決められようとしている。問答無用、これほどの破壊はない。累積処分停職6月で押しとどめている東京でも不起立・不斉唱・不伴奏者は激減した。今年度の入学式ではただ一人。権力側が、「この行為に対してこの処分をする」といった時、「この行為」を選択肢から除外したら闘いにならない。「日の丸・君が代」強制反対、10・23通達撤回という総論を掲げても行動方針がないところに前進はない。
 “不起立・不斉唱・不伴奏を含む多様な取組を呼びかける”ことを一貫して提起してきた。不起立できる者はそれを追求し、職員会議で反対議論できるものはそれを追求する、宣伝行動、集会など行動はいくらでもある。問題は、なりゆきにまかせるのではなく、広く「呼びかける」ことである。「呼びかける」ことが現場の教職員に精神的圧迫を与えるという意見もある。教職員が試行錯誤するのは当然である。広く厚い取組が展開されることを期待する。学校現場の取組を基本に抵抗し共同し闘う展望をしっかり提示していくことが、大阪をはじめ全国的に必要である。

地裁民事19部に、公正な審理、判決を求める賛同署名
~9月末、第1次しめきり、よろしくお願いします~
(署名していただいた方は送ってください。また署名用紙を請求してください)

今後の予定 報道
*米山処分取消訴訟 高裁口頭弁論 9/27 15:30 822号
*東京小中「君が代」裁判 高裁口頭弁論 10/11  
*東京「君が代」裁判三次訴訟 地裁口頭弁論 10/14 15:00 527号
累積加重処分取消訴訟 地裁判決 11/17(木) 13:30 527号


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2011年9月19日月曜日

累積加重処分取消裁判を支援する会ニュース(第58号)

地裁判決へ向けて争点と運動の結節点!!
教育の自由を保障し、全ての処分を取り消すために
最高裁大法廷へ向けて率直に自由を語ろう

~最高裁第一小法廷の弁論決定に当たって~


 報道によると、最高裁第一小法廷は11/28に河原井・根津停職処分取消訴訟について弁論を開くという。民事訴訟法第319条は上告棄却する際には弁論を経ないでよいとされている。原審破棄の時に弁論を開くので、停職処分を是認した3・25高裁判決(加藤裁判長)が見直される可能性がある。歓迎だ。今後、他の訴訟でも弁論が開かれる可能性がある。
 3・10高裁判決(戒告・減給取消)、3・25高裁判決(停職是認)、第一波最高裁判決(戒告・減給是認)という裁量権逸脱・濫用問題の不整合を最高裁は何とか解決しようとしている。全ての処分を取り消させるために、今必要なことは圧倒的な声を挙げることだ。10・23通達下で苦しめられた者、不起立した者も起立した者も、戒告処分を受けた者も減給処分を受けた者も停職処分を受けた者も、そして処分を受けなかった者も、勇敢にも最高裁まで闘って不当判決を受けた方々、今も下級審・最高裁で裁判闘争を継続している者も、提訴に至らなかった者も、何よりこの運動に関わってくださっている多くの市民の方々も、ぜひ声を挙げて欲しい。

裁量権問題から教育の自由へ

 では、何を語るのか。児童・生徒、学校とそれにつながる日本の社会について、大阪の「君が代」強制・免職条例について、教育のあり方と教職員の果たすべき役割について、そして強制・処分と自由について。「正しい教育をしたいという思いからの行動」が何で処分に値するのか。「子供に考えること、自分で判断すること」を提起したのが処分に値するというのか。処分の不当性、裁量権の逸脱・濫用を語れば、それは教育の自由(憲法23・26条、教育基本法、権利条約など)に向かうはずだ。全ての処分は「憲法に適合しない」、「憲法・法律の解釈適用について」第一波最高裁判決(全ての小法廷に関わっている)は間違っていることを認めさせるためには、大法廷を開くしかない。第一小法廷が弁論を開くのは歓迎だが、問題の核心である強制のシステムを断罪し教育の自由保障を判定させるためには大法廷が必要だ。それによってこれまで是認された処分を取り消させることができる。

最高裁に迫る判決を

 地裁判決まで2ヶ月を切ったが、他の下級審裁判と同様、極めて重要な意味をもっていると思う。あれこれの最高裁判決があるからといってあきらめるわけにはいかない。そもそも、旭川学テ最高裁判決は正確に適用されていない。この問題で、教育の自由の憲法判断を「上告事由に当たらない」としたことの不当性が浮かび上がってくる。
 一審・二審で着実な前進を積み重ねれば、最高裁も無視できないだろう。

地裁民事19部に、公正な審理、判決を求める賛同署名
~9月末、第1次しめきり、よろしくお願いします~

今後の予定 報道
*東京「君が代」裁判一次訴訟 最高裁要請 9/20 14:40 東門
*都教組八王子・3人の裁判 新たな闘いの前進をめざす集い 
9/22 18:30 労政会館
*米山処分取消訴訟 高裁口頭弁論 9/27 15:30 822号
*東京小中「君が代」裁判 高裁口頭弁論 10/11  
*東京「君が代」裁判三次訴訟 地裁口頭弁論 10/14 15:00 527号
累積加重処分取消訴訟 地裁判決 11/17(木) 13:30 527号


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2011年9月12日月曜日

累積加重処分取消裁判を支援する会 ニュース(第57号)

地裁判決へ向けて争点と運動の結節点!!
座視して判決を待たず

最高裁大法廷へ向けて一・二審で前進を勝ち取る

 第一波最高裁判決(5/30~7/19)は、憲法19条について一律起立斉唱は思想及び良心の自由を侵害しないとした。それは「慣例上の儀礼的な所作」であるから世界観や歴史観とは直接に関わらないし、国旗国歌への「敬意の表明=間接的制約」も式の「秩序を確保」し「円滑な進行」という必要性・合理性があり職務命令は合憲であるとした。では、それを強制、思想及び良心の侵害と受け止める者は忍従するか、退職するか、それとも不服従によって累積加重処分を受けるか、ということである。大阪府の方では君が代斉唱を「条例上の規定された義務」として累積加重処分の行き着く先=免職までも決めようとしている。“法律で愛の形を決めないで! 通達で式の形を決めないで! 条例で職の形を決めないで!”ということである。
 教育の自由(23条・26条)についてはもっとひどい判決内容になっている。最高裁は居丈高にも「上告事由に該当せず」として門前払いした。「事実誤認」だとか「単なる法律違反」だと断定して、それらは下級審の問題とした。          
 市川須美子教授は指摘している。
 「思想・良心の自由主張は、基本的には個別義務免除を求める主張であり、義務賦課のシステム自体の適法・違法を問わないのである。・・しかし、教育の自由を主張する自主性擁護的教育裁判の現状は、最高裁学テ判決以降憲法裁判としての展開はほとんどなく、せいぜい行政の裁量濫用の段階での争いになっている。」(「教師の思想・良心の自由と教育の自由」『法律時報79巻2号』)
 10.23通達、職務命令による職務専念義務下の強制メカニズムを解明するには校務としての児童・生徒との関係を追及するのが必須である。
 このような最高裁に対して、第二波では大法廷を開かせ、口頭弁論を行わなければならない。そのためには一・二審の事実認定段階で前進を勝ち取ることが特に重要である。

裁量権逸脱・濫用課題
~ハードルの高さを知らなければ越えることはできない~

 上記のように最高裁は上告棄却・原審確定の判決を出した。思想良心の自由については最高裁独自の論理展開を明示した。教育の自由等「その他の上告理由」については却下し判決文上には独自の論理展開は示さず原審を是認した。つまり、それぞれの戒告処分を確定したのである。裁量権についても最高裁がどう審理したのかは明示されていないが、それぞれの事案における戒告処分について裁量権は「判断されていない」のではなく逸脱・濫用を認めなかったのである。最高裁は裁量権逸脱・濫用課題を留保したり、下級審判決を待って判断しようとしているのではない。最高裁が原審確定で戒告処分を是認したことを徹底的に批判していかねばならない。
 今後、小法廷で裁量権逸脱・濫用により戒告処分を取り消す判決を出すなら、第一波判決との間で法の下の平等に反する事態を引き起こすであろう。最高裁はおそらくそのようなことをしないだろう。小法廷では少なくとも戒告処分については裁量権逸脱・濫用を認めないだろう。このハードルを越えねばならない。戒告、減給、停職全ての処分における裁量権逸脱・濫用を確定し、処分を取り消させるためにも、重大な判決の変更を求めて大法廷を開かせなければならない。(大法廷で審理される案件:憲法その他の法令の解釈適用について、意見が前に最高裁判所のした裁判に反するとき)

地裁民事19部に、公正な審理、判決を求める賛同署名
~9月末、第1次しめきり、よろしくお願いします~

今後の予定 報道
*再雇用拒否撤回二次訴訟 地裁口頭弁論 9/1215:00 103号
*都立七生養護ここから裁判 高裁判決 15:00 101号
*早川公務災害裁判 判決 9/14 15:00 809号
*都教組八王子・3人の裁判 新たな闘いの前進をめざす集い 9/22 18:30 労政会館
*米山処分取消訴訟 高裁口頭弁論 9/27 15:30 822号
*東京小中「君が代」裁判 高裁口頭弁論 10/11  
*東京「君が代」裁判三次訴訟 地裁口頭弁論 10/14 
累積加重処分取消訴訟 地裁判決 11/17(木) 13:30 527号

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2011年9月5日月曜日

累積加重処分取消裁判を支援する会 ニュース(第56号)

地裁判決へ向けて争点と運動の結節点!!
第一波最高裁判決に対する実践的批判

いくつかの論調

最高裁判決が出されてからいくつかの見解が公開されている。散見したところ、以下の緒論が見られる。
  1. 勝野正章「『日の丸・君が代』最高裁判決で問われる学校観」(『世界2011.8』)
  2. 西原博史「『君が代』不起立訴訟最高裁判決をどう見るか」(『世界2011.9』)
  3. 土屋英雄「『国旗・国歌』は『強制可能な公的利益』か」(『法律時報2011.9・10号』)
  4. 斎藤貴男他4名「最高裁判決を読んでの私の意見」(パンフ「『日の丸・君が代』強制反対 最高裁は大法廷を開き、口頭弁論を」)
 ここでは全面的な検討はできないが、②については論者の学校教育の「対立関係」規定、即ち「教育行政<対>教師」、「教育行政・教師多数派<対>教師少数派・子ども・親」という枠組を固定するところから、地方行政権力の強化を容認している。今日、教育基本法の実働化や地方自治体・地教委の暴走ともいえる動向の中では危険な側面をもつ。また、「少数派」の思想・良心を取り上げるのに、「教育委員会側の権力策動を重視しない」「東京においては教師の側の運動論的な盛り上がりがむしろ認識を妨げている」と、ことの本質を見ない見解を吐露している。一方では、最高裁が「敬意の表明」という「間接的制約」を認めたことを思想・良心に関わる「重要な一歩」としている。
 ③は、国際的動向から最高裁判決を批判し、自由権規約など国際条約の意義から今後の動向を予見するものである。ただ、竹内裁判官の補足意見を取り上げる中で、論者が中国「義勇軍行進曲」と日本国「君が代」を同列において論じているのは、強制・排外主義を指摘する意図は認めるが、二つの「国歌」に対する歴史認識の点で疑問である。

現場からの実践的批判

 学者や評論家ではなく、弁護士でもない私たちは、より教育実践的に対応したい。まず、判決は起立斉唱が「慣例上の儀礼的な所作」であるから通達、職務命令は「直接に思想・良心を侵害しない」とした。つまり、起立斉唱は「法律・規則上の規定された行為」ではないと言うこと。通達、職務命令によって強制され、それに従わなかったから処分されたことが明白となった。「慣例」と認めるか否か、「所作」を行うか否か、ここに対立、論争があることを最高裁は認めたことになる。
 次に判決は国旗国歌に対する「敬意の表明を含む行為」と認めた。最高裁は避けたのであろうが、シンボルである国旗国歌への「敬意の表明」はその本体である日本国の象徴天皇制国家としての側面への忠誠表明である。これは旭川学テ判決がいう特定の認識を教え込むこと、教える側には柔軟性、裁量の余地がない形態であること等が導かれる。
 例えば、起立するかどうか、斉唱するかどうかの組み合わせでは少なくとも4パターンがある。<起立・斉唱><起立・不斉唱><不起立・斉唱><不起立・不斉唱>である。<国旗に正対するかどうか>まで加えるとパターンはさらに増える。少なくとも指導対象である児童・生徒には離席、退場の自由がある。都教委も「子どもには強制しない」という。<離席・退場>の可能性も含めると選択肢は多様化する。教職員はこのような多様な考え、行動を示すことによって「公平な判断力を養う」態度を身につけさせることができる。これこそが教授の自由であり、学習の自由である。ついでに言えば、私が宮川反対意見中の<教員に場外の役割を与える>ことを批判しているのは、そのような職務命令によって「児童・生徒との直接の人格的接触」をさせないことにより教育活動そのものを否定するからである。教職員が、強制・処分を避けるため自主的に「会場に入らない」(休暇、場外勤務等)こととは別である。
 判決は、式の「秩序を維持」し「円滑な進行」という必要性、合理性のために「敬意の表明=間接的制約」を容認した。「秩序を維持」することは一律起立・斉唱によって一糸乱れぬ「所作」をさせることを意味し、「円滑な進行」とは起立斉唱に疑問をもち態度を保留・変更するのを許さず追従を意味するのであれば、最早それは教育ではなく感化である。

第二波最高裁判決に向けて

 最高裁は教育の自由(憲法23・26条)については「上告事由に該当せず」として取り上げなかった。そのため不起立・不斉唱・不伴奏行為を思想良心の自由の面から判断した。特に第一小法廷の金築補足意見は「当該外部行為が一般的、客観的に意味するところに従って判断すべきと考える。」「本人の主観的判断に委ねてしまうという問題点を少しも解決していない」と断じている。そして「上告人らは、教職員であって、法令やそれに基づく職務命令に従って学校行事を含む教育活動に従事する義務を負っている者である」として「制約を正当化」している。教育の自由への行動を明確にし、それによって処分が裁量権の逸脱・濫用であることをも展開する必要がある。私の場合、戒告、減給、停職という累積加重処分を受けてきたが、不起立・不斉唱の回を重ねるに従って、より正確に生徒に多様な考え、行動を示そうという思いは強くなった。去年不起立して今年は起立するなどということは論理展開の外であった。何より恐れたのは、その時になって動揺し躊躇し生徒に自由の意義が伝わらないことだった。一審判決がどうであれ、二審高裁さらには第二波最高裁判決に向けて言わなければならないことは多い。
 
地裁民事19部に、公正な審理、判決を求める賛同署名
~9月末、第1次しめきり、よろしくお願いします~

今後の予定 報道
*再雇用拒否撤回二次訴訟 地裁口頭弁論 9/12 15:00 103号
*早川公務災害裁判 判決 9/14 15:00 809号
*米山処分取消訴訟 高裁口頭弁論 9/27 15:30 822号
累積加重処分取消訴訟 地裁判決 11/17(木) 13:30 527号


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