論点、争点、キーポイント(結審に向けて 16)
ポスト最高裁判決の都教委見解を批判する
~都教委「最終準備書面」(6/29付)にみる強権方針~
ポスト最高裁判決の都教委見解を批判する
~都教委「最終準備書面」(6/29付)にみる強権方針~
先日届いた「準備書面」はおそらく最高裁判決後初の都教委見解であろう。結審にあたって、何をねらっているのかを明らかにしておきたい。
① 最高裁判決に追従
「判決で用いられた憲法19条違反の判断枠組み」「最高裁判決の判断枠組み」として、「慣例上の儀礼的な所作」「秩序を確保して式典の円滑な進行を図ること」から職務命令を合憲としている。注目されるのは一連の最高裁判決を「判断枠組み」として固定化しようとしていること。しかし「現在、日の丸を国旗として、また、君が代を国歌として認容する国民の多数の意見」と述べ、未だ異論があることを吐露している。
② 累積加重処分(減給・停職)を重大視
「本件については、事案の重大性から・・教育委員の合議により、『戒告』処分を決定」「同様の職務命令違反を繰り返す者については、量定を加重し『停職1月』とすることを相当と判断」「教職員懲戒分限審査委員会の答申を得て教育委員会において決定した」と述べる。
強制が続く限り生徒に多様な考え行動があることを示す不起立・不斉唱を継続することは当然である。3.10高裁大橋判決は、裁量権の逸脱、濫用として「戒告」を取り消した。処分を取り消すかどうかは、「正しい教育を行いたいという思い」「真摯な動機」を評価するのか、それとも連続する不起立を「度重なる非違行為」とするかの問題である。教育の自由への全面展開が必要である。一貫して教授の自由と生徒の学習権保障を追求した結果の減給・停職処分の取り消しには道理がある。
③ 教育公務員・公共の福祉による制約
「原告は、自らの自由意思で公立学校教職員という特別な法律関係に入った者」「基本的人権も絶対的なものではなく・・制限を受けるもの」「起立することを拒否することは・・児童・生徒の教育を受ける権利を始め、他者の権利・利益を著しく害する」としている。倒錯した論である。
教育公務員であるからこそ、教授の自由が侵害され、間接的に生徒の学習の自由が侵害される局面では、それに抵抗することが職務として必要であり、生徒の学習権を保障することである。そのような教育的良心が特別権力関係や公共の福祉によって制約を受けるはずもない。
④ 教育の自由による不起立についての無理解ないし無視
長くなるが奇妙な論理展開なので引用する。「人格の核心たる世界観、社会観に基づかない理由、例えば、国旗・国歌に対して不快感、嫌悪感を有するという感情的な理由や、国旗・国歌に違和感は有してはいないが強制に反対するという理由などにより、国歌斉唱時の起立を拒否するものに対しては、懲戒処分を課すことは、必ずしも同人に対して内心の思想に基づいて不利益を課すことにはならないという結論になる。そうだとすると、このような立論は、国歌斉唱時の起立を拒否する理由がどのようなものであるかを問題とすることになると思われる。しかし、任命権者が処分の検討に当たって、個々の教職員の内心における世界観、主義、主張を調査することはそれこそ憲法19条から許されるものではない。」と述べている。
不起立が思想や信教以外の理由から決行されることを認めたのはよしとしたいが、都教委は「10・23通達」「職務命令」が教育の自由を侵害していること、不起立・不斉唱がそれに対する抵抗であり、正しい教育をしたいという思いの実践であることを理解しようとはしない。都教委も「強制に反対するという理由」を認めざるを得ないが「内心の思想」ではなく教育的良心(教授の自由)が直撃されていることには無理解である。
「先に処分ありき」で泥縄式に独善的なドグマを持ち出すと結局は泥沼に陥る。「思想調査」も「処分」も共に許されない。
結審に向けて、いよいよ対立点が明確になってきた。最高裁の“職務命令は19条合憲”“象徴天皇制国家思想の総動員を容認”“処分是認”判決の下で、また、不起立・不斉唱者を免職にする動きの中で、それに真っ向から対決していきたい。停職、減給、戒告、全ての処分の取り消しを求める。
*累積加重処分取消裁判 民事19部 青野裁判長
次回口頭弁論(結審)7/11(月)13:30~ 527号
最終準備書面の提出・原告本人の最終陳述 傍聴よろしく
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