論点、争点、キーポイント(結審に向けて 3)
不起立・不斉唱は「コウム」か? ~続~
不起立・不斉唱は「コウム」か? ~続~
口頭弁論(4/28)の反対尋問で次のようなやり取りがあった。
都教委代理人弁護士:卒業式の時、一番近くの生徒とはどのくらい離れていたか。私の不起立は、生徒に自らの考えに従って行動してよいというメッセージを送るものでした。前号に続きローカルな話になりますが、〈国歌斉唱〉に続いて〈校歌斉唱〉ですから私は起立して歌います。生徒に正対しての起立―不起立―起立という一連の動作は目立ちます。ところで八王子五中の校歌はなかなか素晴らしいものです。
近藤:1メートル前後です。
都教委代理人弁護士:生徒からあなたの不起立は見えたか。
近藤:はっきり見えたと思います。
高き知性の かがやけば 自由の道の はてもなし
見ずや個性の おのずから 薫りも色も 新たなり
友よしたしく 手をとりて 世界の前に 進むべし
(土岐善麿 作詞 信時潔 作曲 「学事報告」より)
私は勝手に、リベラリズム、パーソナリティ、インターナショナリズムを励ますものと解釈しています。土岐・信時のコンビでは、『われらの日本』(新憲法施行記念国民歌)が創作。1947.5.3のこと。
平和のひかり 天に満ち
正義のちから 地にわくや
われら自由の 民として
新たなる日を 望みつつ
世界の前に 今ぞ起つ (古関彰一『新憲法の誕生』より)
記念式典に天皇は出席せず、君が代ではなくこの歌が歌われたそうだ。国歌はもちろん、校歌にしろ国民歌にしろ強制はダメですが、その意味、意義を批判的に検討し深く理解することは重要だと考えています。このことが裁判官に伝わったでしょうか、心配です。
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**会員・読者の声**
君が代斉唱・日の丸掲揚強制と私たちの生き方(1)
山田昭次
1923年9月1日に関東大震災が起こると、日本人民衆の多数派は朝鮮人が暴動を起こしたという官憲が流した情報を「お上の言うことに間違いない」と信じ

次回口頭弁論(結審)7/11(月)13:30~
527号 最終準備書面の提出・原告本人の最終陳述
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