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2011年6月24日金曜日

累積加重処分取消裁判を支援する会ニュース(第42号)

論点、争点、キーポイント(結審に向けて 13) 

卒・入学式は、不当な支配・教育の自由破壊の対決点
~「慣例・所作」ではなく「命令・教化」~

 6/21,最高裁第三小法廷は広島・君が代処分取消訴訟で4回目の不当判決を下した。またしても職務命令は「慣例上の儀礼的な所作」のため思想良心の自由を直接に侵害しない、「敬意の表明」を強制することによる「間接の制約」も「秩序の確保」「円滑な進行」のためには容認される、という。これは一体何を意味しているか。
 かつてピアノ判決以来、都教委と下級裁判所は、一律起立・斉唱は「国際儀礼」であり「一般的・客観的」に見て侵害にあたらない、内心と分離してこの外部行為を行うのは当然とした。判決によっては不起立・不斉唱を「学習権の侵害」とした。「国際儀礼」の強制はまさに国際的実態からも破綻した。内心と外部行為の分離は人間の思想と行動の不可分性からも非現実的であることが明らかとなった。そして行き着いたのは日本的「正攻法」である。国旗国歌法は「慣習を成文化」したもの、2006教育基本法の「伝統と文化を尊重し、それをはぐくんできた我が国と郷土を愛する」態度、そして象徴天皇制国家が被されば完成する。日本国政府の公式見解(1999年以来)は“「君が代」の君は天皇であり、「君が代」は我が国、歌詞は我が国の末永い繁栄と平和を祈念したもの”としている。“日本人なら、公務員教職員なら「慣例上の儀礼的な所作」をしろ!”不起立・不斉唱・不伴奏者は「秩序」を破壊し「円滑な進行」を妨げる者とされる。それを予防した職務命令は合憲というわけである。
 卒業式、入学式等は不当な支配・介入、教育の自由をめぐる激しい衝突の場である。「10・23通達」「職務命令」が果たしている役割は「慣例・所作」ではなく「命令・教化」であり、「敬意の表明」にとどまらず「象徴天皇制国家への忠誠誓約」である。これが私たちの教授の自由を抑圧し、児童・生徒の学習の自由を侵害していることは明らかである。最高裁小法廷がいかに19条で枠をはめようとも、学校現場の実態を反映した23条・26条・教育基本法での闘いはこれからだ。着実に主張を展開していきたい。開けない梅雨はないだろう。

次回口頭弁論(結審)7/11(月)13:30~ 527号 
最終準備書面の提出・原告本人の最終陳述 傍聴よろしく

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